藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

兄弟と性格。


休日のFM放送より"生まれ順分析"の話題が聞こえてくる。


ははあ、性格分析好きの日本人はいろいろ考えるなぁと感心。
生まれ順評論家氏、なるものも登場していろいろと仰る。

やれ第一子はリーダー性があり、我慢強くて急にキレる(なんじゃそれ)、とか表現ベタだとか、末っ子は反対に甘え上手で打たれ強いとか。
真ん中っ子は(上下に挟まれるから)独立心が強く、
一人っ子はマイペースだと。そりゃそうだろうね。
(ちなみに「生まれ順」は第一子、真ん中っ子、末っ子、そして一人っ子、の四タイプだけなのだそうである。これも複雑すぎなくて分かりやすいのだろう。占いキングの血液型と同じ数だ。)

そしてさらに。
第一子にはプロ野球選手が多く、モデルも多い、とか芸能界は末っ子天国なのだとか、さもありなん、と思ってしまうような話題が続く。


聞いていて感じたのは、つまり"井戸端会議"。
日本人は井戸端会議が好きである。
外国人もバールで何時間もワイン片手に話しこんでいるが、話題は必ず「自分のこと」とか「政治のこと」のような話ではないか。

A型がどう、とかやっぱりO型は…といった類の話は日本人に向いているようである。

安心感、の文化。

そして、そんな耳で居酒屋で観察を続ける。
すると、自分たち日本人は「確認文化の民族」ではないかと感じた。

「あの人ってどうしてああなんだろうね。全く周囲の空気を読まないからこっちが焦るよ。」
すると、横の同僚と思しき人が
「ああ、それはね、彼は人事出身でB型だし、兄弟もいないらしいから。まあマイペースなんだよ。」
「ああ、そうなのか。」

という感じで、つまり話題の対象人物を「これからこうしていこう」とか「何かこちらで対策を考えよう」という種類の会話ではない。

『あの人ってああよね?』という指摘と確認が、一番の眼目なのである。

だから「どうしよう」という重い話題は、往々にして「その後の話」になっている。


そういえば、そういう「これからの話」をするときは仕事場が多く、居酒屋でくつろぎ、「今後の対策について考えよう」という話をすることは自分も少ない。


「まず確認」を旨とする日本の性質は、時代を切り開くような性質はあまりないが、やはり「周囲との調和」を主軸とする社会では「ある安心」を共有できる"地域社会の確認行為"なのだろう。
周囲の意見から「突出した解決策」を練り上げるよりも、「最大公約数を見つけようとする文化」が我われの持ち味のようである。


そんな特質を分かりつつ、これからの自分たちの行動も決めていきたいものである。