藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

社会に属する、ということ。驕る心を持たないということ。

朝日デジタル「はたらく気持ち」より。

例えば、タクシーの運転手に悪態をつく若者の話。

思えばずい分昔から、国鉄や役所の「公僕」の人たちに「俺の税金がお前たちの給料になっているのだ!」とやたらに厳しい人はいた。

この度は、「ワンメーターの料金精算に一万円を出し、釣銭が無いと分かるや運転手を罵倒する若者」のことである。

互いに細かいお金を持ち合わせないことについて、まったく相手の事情を斟酌しない若者。
こうした人物が、「まともな人」として増加するのは、ひたすらに社会の荒廃をもたらすだろう。

一般に、「色んな事情」が積み重なって起きた不具合などは、その発生原因を一つには求めにくい。
JR脱線事故の裁判や、この度の東電の事故などはその典型だと思う。

公務員にはそれでも、手厚い保護がある。
親方日の丸、とは言わないが逆に「国民サイド」としては「切れ味のない、ノタノタした生産性のない接客はすんなよ」という感情はそれほど理不尽なものではないだろう。

けれど、そうした「客対提供側」の意識が、世代間を飛び越え、「カネを払う方が偉く、サービスを売る側は従え」というムードになっているとしたら、それは日本の「品格の衰え」以外の何物でもない。

自分は、『常に、恵みを受けてているのだ。』という感謝の心を忘れた民族やリーダーは、歴史的に必ず滅んでいる。
"驕り"ほど恐ろしい勘違いはない。


タクシーに乗っていて。
自分が客で、ドライバーは提供すべき人で、従って自分が優越するのだ、と乗客が考えるのは、自分は驕慢に過ぎると思うのである。
「お金で色々な問題のカタをつけよう」というのは、法治国家民法の概念だけれど、それと日常の生活は違う。

カネを払う側が偉く、贖いを受ける側が何でも言うとおりに従え、と現代の若者が考えているのだとしたら、日本の文化存亡の危機であると思う。

カネはたまたま「自分が払う側」になったに過ぎない。

明らかに「そんな風」に思えても、"決して「人対人」の敬意や尊厳を侵さない"ということこそ「価値観」として守ってゆかねばならないことではなかろうか。
「自分の言い分は何でも通る。カネさえ払えばいいのだ。」という感覚の人がいたら、それは教養の欠如というものだろう。

今の我われ大人は、決して「富だけが貧富の価値観ではない」ということを伝えていかねばならないし、またその価値観こそが、日本の独自のカラーになるのだと思う。
タクシーに乗り、あるいは公共交通機関を利用して、「我が物顔に振舞う人」はいくら金持ちでも「紳士ではないのだ」ということを後世に毅然と伝えていかねばならないのではないだろうか。

「キレたらおしまい」の哲学文・田中和彦
東京都内のタクシー運転手Nさん(60)は、30枚の千円札と2枚の5千円札を必ずそろえてから車に乗る。これくらい自前で準備しておけば、続けて1万円札を出されてもなんとか対処できるからだ。

 先日も同僚が、朝から立て続けの万札攻撃に出くわし、釣りに困った話を聞いた。

 駅から若い女性客を乗せ、ワンメーター先のビルの玄関に車をつけた後のことだという。「細かいお金はお持ちじゃないですか?」と尋ねても、「早くして!」と取り付く島もない。「すみません。朝から大きなお札が続いて……」とわび、クレジットカードや電子マネーでも大丈夫だと伝えたが、「早く! 遅刻しちゃうよ」。

 「じゃあ、コンビニで両替してきますから」と言った途端、いかにも最近の若者らしい口調で、「ありえない!」。ついにキレた同僚は、「もういいよ」と自腹を決め込んだ。すると、その女性は平然と降りながら、「それでもプロなわけ?」という捨てゼリフを残したというのだ。

 以前なら、「万札でお釣りありますか?」と、客の方があらかじめ確認して乗ってくれたが、最近の若者にそんなマナーは期待できない。

 怒り冷めやらぬ同僚を、「この仕事はキレたらおしまい」といさめたNさん。運転手に転身して10年、かつては医薬品の営業マンだった。

 相手のわがままをひたすら聞くのが仕事だった。プライドを捨て、どんな状況にも絶対に耐えてみせると事前に腹をくくれば、意外にキレないで済むことは、この時の経験で学んだ。

 そのかいあって、運転手になってからもキレたことはない。ただ1度だけ、キレる寸前まで行ったことはある。

 深夜に銀座でクラブのママとその常連客らしき男性を乗せた時のことだ。まず女性から行き先を告げられ、走っていると、「いつもと道順が違う」と責められた。

 ひたすら謝ったが、ののしりは30分もやまず、たまりかねたNさんが「今回は、料金は頂きません」と言うと、「お金の問題じゃないのよ」と、火に油を注ぐ結果になった。女性が降りるまで攻撃は続き、「ありがとうございました」の声が震えた。

 そのまま残った男性客を運んでいると、「運転手さん、よく耐えたね。あんたすごいよ」と声をかけられた。「今日は客が俺一人。閑古鳥が鳴いて、八つ当たりだよ」と。その男性は何も言えずにすまなかったと、チップを弾んでくれた。

 「キレたらおしまい」の哲学が、さらに強固になる経験だったのは言うまでもない。