藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

残せる記憶。


asahi.com<想・記・伝>より。

未曾有の震災から一年がたち、と書いてみても指先にヒシとした実感は湧いてこない。
震災から半年も経ったころから声をひそめて「あまり話題にしなくなりましたね…」という声を何度も聞いた。
そんな日本人の中から、いや日本人になったからこその愛国心で見つめる先輩がいた。

しかし、私は東北が復興すると信じて疑わない。日本は古来より壊滅的な被害を何度も受けてきたが、その度に蘇(よみがえ)ったではないか。希望を持ち続けよう。諦め、無関心こそが敵であろう。

ところが氏が指摘する。

ここまで考えて私は、自分の専門である日本文学の中に一体どれほど災害を記録した文学、小説があったかを調べてみる。すると長い歴史の中で、『方丈記』しかないと思えるほど、とても少ないのだ。

日本人は、ともすれば「風化」を文化としてきたのだろうか。
敗戦であれ、内戦であれ、災厄であれ、これまでも幾度も幾度も経験があったろう。
それが恨みつらみとしてあまり伝わっていないのは、「恩知らず」的な非国民性ではなく、わざとそうした想いを心の陰に何世代も持ち続けないように、"文化の継承のスイッチ"が機能しているのかもしれない。
氏は言う。

記憶とは不思議なものだ。歳(とし)を取るにしたがい、先ほどの出来事、昨日の出来事が次々と頭から消えて行く。なのに思いがけないひと時に、過ぎた日の断面が突然、蘇る。 (中略)
人が行動を起こす時、「これがやがては記憶へと変わるのだろう」とは思わない。記憶とは感受性の裏側にあるのであろうか。

ともすれば、特に自分など直接の体験者出ないものは、周辺部から「忘れてはならない」などと言う。
けれど、報道を見ても、また事件直後からの報道の姿勢を見ても「鮮烈な記憶を必要以上に日本の中に残す」という風には、思えないことに気づく。
あまりに「惨いシーンの記憶」ではなく、100年、200年と経ってゆく中で、震災の事実を別の形にして伝えてゆくような、日本にはそんな文化体質があり、すでに今回の震災においても働いているのかもしれない。

それは不謹慎なことではなく、まただから自分たちはこの度の経験値を「どんな形にして残したいか」という距離感で考えねばならないのではないだろうか。
ものを考えることの"深さ"について今一度思いを巡らせてみたいと思う。

■叙情詩となって蘇る ドナルド・キーン

記憶とは不思議なものだ。

もうすぐ90になる私には当然ながら90年分の記憶があるはずだが、それなら人生最初の記憶は何だったか?

人生を変えた少年期の記憶となれば、すぐに思い出せる。それは9歳の時に父と出かけたヨーロッパへの船旅、そして欧州での経験であるが、これは何度も書いたので、ここでは繰り返さない。

小さくなった人間が、人の体内に入り込む「ミクロの決死圏」という映画があったが、自分の頭の中に入り込み、生い茂る記憶のジャングルを歩けば、どんなに面白いだろう。些末(さまつ)な記憶の堆積(たいせき)がひっくりかえったオモチャ箱のように散乱しているだろう。

幼い自分と若い両親、初めて読んだ『源氏物語』、船着き場で知った日米開戦、玉砕の光景、焼け野原の東京、戦後の欧州とケンブリッジの緑、そして戦争から立ち直った日本……。

いや、私は何よりも日本の文豪との日々を記憶の海から引き上げたい。今思い出しても信じられないのは、日本を代表する作家のほとんどと面会できたことだ。

客嫌いで有名な谷崎潤一郎にもてなされたこと、永井荷風の美しい日本語をこの耳で聞いたこと、東洋的な紳士の川端康成、そして私と年の近い二人の巨人、三島由紀夫安部公房と過ごしたかけがえのない時など。しかし、消えてしまった記憶も多い。

ある晩の相客は志賀直哉だった。当時の私は自分の記憶力に絶対の自信を持っていたから、日記はもちろん、何の記録も残さなかった。あの夜、どんな話をしたか……今となっては記憶の届かない忘却のかなたにある。

昨年3月の震災は日本の国の歴史に刻まれるほど、大きな被害を残した。震災、津波だけでも大変なのに、原子力事故という大きな災厄が引き起こされた。被害にあわれて住居や仕事を失った人々の苦悩は察するにあまりある。復興には長い時間がかかるだろう。

しかし、私は東北が復興すると信じて疑わない。日本は古来より壊滅的な被害を何度も受けてきたが、その度に蘇(よみがえ)ったではないか。希望を持ち続けよう。諦め、無関心こそが敵であろう。

ここまで考えて私は、自分の専門である日本文学の中に一体どれほど災害を記録した文学、小説があったかを調べてみる。すると長い歴史の中で、『方丈記』しかないと思えるほど、とても少ないのだ。

これは実に不思議な発見だった。なぜ、天災や人災を記した作品がないか、ということにもはっきりとした説明は見当たらなかった。

過去の日本では『源氏物語』のような典雅な内容ならともかく、悲惨で恐ろしい出来事は文学の題材に相応(ふさわ)しくないと考えられたのかも知れない。

記憶とは不思議なものだ。歳(とし)を取るにしたがい、先ほどの出来事、昨日の出来事が次々と頭から消えて行く。なのに思いがけないひと時に、過ぎた日の断面が突然、蘇る。

そんなことは誰にでもあろう。ある出来事を経験した時、それが数十年後に別の叙情詩となって戻って来るとは、人々は日々の行いの中で予想出来ないからだ。

人が行動を起こす時、「これがやがては記憶へと変わるのだろう」とは思わない。記憶とは感受性の裏側にあるのであろうか。

多くの人にとって、昨年は辛(つら)い記憶の残る1年となった。今年こそは素晴らしい記憶にあふれる年となることを祈っている。


ドナルド・キーン 米コロンビア大名誉教授・日本文学研究者 1922年、米ニューヨーク生まれ。18歳で『源氏物語』に出あう。太平洋戦争ではアッツ島や沖縄で米海軍の通訳官を務めた。53年に京都に留学。戦後、日米を行き来しながら『日本文学史』『百代の過客』『明治天皇』など多くの著書を刊行してきた。2008年に文化勲章。昨年、コロンビア大を退職。震災後に日本への永住を表明した。=高波淳撮影