藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

人生の短冊。

・24〜社会に出て最初の三年。知らないこと、目新しいことばかり。バイトと社会人の差をようやく知る。毎日目が回った。これまでしなかった勉強が必要なことがようやく分かった生まれたて。
・27〜何かの直感(昔に書いたけど)に突き動かされ起業。今のように色々と"耳知識"があれば思い切っていなかったかも。ともかく辞表を出し、独立。
・30〜起業して丸三年。経営の「ルーティーン」は分かってきたが、そろそろ「経営そのものについて疑問」が首をもたげて来たのもこのころ。
・33〜決算六期目。もう六年も経つのに、自身の経営する会社の方向性が明確にならない。
何か「生きていくための会社」であり、日々の口を糊して行けるだけでよいのか?と毎日自問していた。友人のコンサルタントに進められ、中期経営計画を作り出したのもこのころ。まだ進む方向は見えなかったが、「前を見通そうとする姿勢」が重要なことに気付く。
・36〜いよいよ創業十年経ち。IT会社としてはやはり"技術の核"が必要なことを再認識。特許にのめり込むが事業化には結びつかず。悶々。
・39〜法律家と出会い、「法曹というアプリケーション」にのめり込む。よく知らなかったことが幸いし、新鮮だったこともあって没入した。不思議にこの時も迷いはなかった。
・42〜法曹界でのビジネスモデルを試行錯誤することに熱中する。そのモデルをがっつり成長させるためのIT活用を実感した。やはり常にアプリありきだったと再認識する。もう社会人二十年にもなろうというのに。
・45〜アプリあり+ITあり、しかし組織(人)なければノウハウが蓄積しないことを、改めて実感。人もお金と同様「資産に他ならない」ことを再認識する。おそっ。
・48〜「"画期的"というほどの決定的な方法」ではなくとも、工夫×経験値の積み重ねによって、また市場を徹底的に考え続ける(つまり役に立つこと)ことで、案外新しいこと(マーケット)は見えてくるものかもしれない、と思い出す。
また法曹界に出会った時の直感は割と正しく、「ここを深堀すべき」というカンに突き動かされて現在に至っていると思う。

さらにこの年になって思うことは、下手に金融技術の知識を得て、IPOなどに目を奪われることも危険だと認識した。
今の経済界はこの辺りの価値観に問題があるとも思う。大学にいたなら、一石を投じたいようなテーマであるが。

早回りしないこと

私のこれまでのことはともかく。
意外に三年単位で自分の過去を短冊に切ってみると、割合はっきりしている感じである。
いちいち「こちらの角で頭を打ち、あちらの壁にぶち当たり、ある時は道に空いた穴にはまり」といった感じだが、そうした軌跡は何となく追えるのではないだろうか。
ノタノタしているようでも、何か「"小利口に立ち回る"ということが、実は経験値にならない」というような教訓くらいは導けると思う。

そして大事なのは「これからの三年刻み」である。
もう六十歳までにも「4サイクル」しかない。(汗。ほんまに汗。)
この三年レビュー、はこの後も継続していきたいと思っている。