早朝に目覚め、ベランダに出来ている影に驚く。
もう五時前なのに月が明々と夜を照らし、まるで山月記のようだった。
広い草原にでもいればバンパイヤでも出てきそうである。
真冬の月は美しい。
糸井さんのコラムより、「いい店」の条件より。
「店にはうれしさ」がある。と糸井さんは言う。
自分もここ数年、一年に何十件かは新しいお店に行くようにしている。
そう。居心地のいい店、というのはもう何件もあるのだけれど、何かあたらしい「うれしさ」に会いたいのである。
チェーン店ではない、店主自らが営んでいるその店で、その店主の「異文化」に触れてみたいのかもしれない。
もう少し真面目に言うと、そんな店の習慣とか、しきたりとか、何かそんなものを「学んでみたい」という感覚も強いと思う。
ひとかどのお店にはみんな「そんなもの」がある、いや「そんなものだらけ」である。
あまりにも客が規律に従わねばならないお店、というのも寄宿舎のようで息苦しいが、その店の内装や店構え、掃除の具合や店員の服装に至るまで、その店の主張が表れているのに触れるのがうれしいのである。
そして、その期待はやはり出される料理に結実する。
期待を上回れば、驚きは何倍もに膨らむし、また心のこもっていない料理に出会うと落胆も激しい。(これはホントに激しい)
多少口に合うか合わないか、は問題ではなく"ある迫力"のない料理に悲しむのである。
その点、家庭で作る母親の料理は常に「ある迫力」に満ちているように思う。
また今年もいい店に出会えるだろうか。
そんな店にたどり着けるだろうか。
うれしさの共有 糸井重里氏が語る「いい店」の条件
2012/9/20 6:30ニュースソース日本経済新聞 電子版
インターネット通販や巨大ショッピングセンターの台頭などで、街なかにあって人々の生活を支えてきた「店」を巡る環境は大きく変わった。それでも「店」には、どこか人の心をひき付けるものがある。「店」とは何なのか。自らも雑貨などを企画・販売しヒット商品を生み出しているコピーライター、糸井重里さんに、魅力的な店の条件や、よく行くお気に入りの店を聞いた。
■店には「うれしさ」がある
――店と聞いて思い浮かべる言葉は。
糸井 重里(いとい・しげさと)氏 コピーライター、ほぼ日刊イトイ新聞主宰。1968年法政大学中退後、広告プロダクション入社。79年、東京糸井重里事務所を設立。98年からウェブサイト「ほぼ日刊イトイ新聞」を公開している。63歳。9月1日に「ほぼ日手帳2013」を発売して「てんやわんやしてます」と語る。
「『うれしさ』です。食べ物屋さんに行って、しつらえが変わったことに気づけば、料理が出てくる前からうれしくなる。お店の人と話すのもうれしい。うれしさのない店には、行っても仕方がない」
「小さいころから駄菓子屋におつかいに行くのが好きでした。もともと、店というものが大好きなんです。かみさんと食事に行った帰り道でも、将棋の感想戦みたいに店や料理の話をしています。あの店、どうなるんだろうねえ、と知り合いの店みたいに心配したり」
「仕事で行った店に、純粋に食事だけを楽しむために、わざわざもう一度行くことも。こういう食事は『純食事』って呼び分けているんですが」
■家族だけの店、店思う気持ちケタ外れに違う
――どんなタイプの店が好きですか。
「たいていは、夫婦だけ、家族だけでやっている店。ジャンルは問いません。お店をケタ外れに大事にしているから。一見、ぞんざいにやっているようでも、気持ちは違う。子育てで、愛情はあるけどぞんざいに扱っているようなものです」
「従業員がいるのに、家族だけでやっているかのような店もすばらしい。人がどうチームとして動いているか、ずっと見てしまいます。『アポロ13』という映画がありますよね。芸術的にどうかは分からないけど、大好きで、何回も見ました。危機に陥った宇宙飛行士を、チームで生還させる物語です。僕らもチームで仕事をしているので、あの映画から得たものは大きかった。いい店も同じです。ふだん仕事をしていると思い出します」
■目当ての商品が売り切れているときがまたいい
――具体的に、お気に入りの店は。
「例えば、犬の散歩の途中で、いつも立ち寄るコロッケ屋。目当ての商品が売り切れているときがまたいい。あっ、きょうはなくなっちゃった、と向こうがうれしそうに言う。申し訳ないという気持ちと、来てくれたのね、という気持ち。残念さとうれしさのころ合いがいいんです。『かわりに、これ、もっていく?』と別の商品を渡されることも。こちらも『また来るよ』と答える。売れる売れないの問題じゃない。コンビニには、売り切れのときの、あの喜びはない」
「主人の人柄で、にぎわっている料理屋があります。いろんな人がぶらっと来て、満席だと『忙しそうやなー』と言って帰る。主人は『すまんなあ、相手できなくて』と謝る。これを日々、何度も繰り返している。そのやりとりを僕は店の隅から見ているんです。こういう場には居合わせるだけでうれしい。人と人が互いに思いやる姿を見るのって、うれしいじゃないですか。これは『楽しい』ではなく『うれしい』です。店の人だけではなく、お客さんのことも見ています」
■自分のことを褒めない人っていいですね
「ご主人がお客さんに、普通にタメグチ(対等な言葉遣い)を使っている店ってありますよね。関係が平らなんです。それが危なっかしくない。そもそも、料理人に性格のいい人は少ない(笑)。当たり前です。勝ち負けがはっきり出る厳しい世界ですから。だからこそ、料理人で性格がいい人は、相当な人格者。すごいと思う」
糸井重里氏
「都内で、不思議な立地に立つおいしい天ぷら屋さんがあるんです。ご主人は関西の出身で四十何年か前に、ひいきのお金持ちの客に誘われて上京。そのころは今以上に閑散とした場所でした。この立地をどう思うか聞くと『店をやるなら、よした方がいいですね』とあっさり言う。考え抜いてマーケティングをやっている人がばからしく見えてくる。こういう店もうれしい。自分のことを褒めない人って、いいですよね」
■消費とは、生きることそのもの
――店の魅力とは何でしょう。
「参加性でしょうか。売り手、買い手という役割がはっきりしていて、自分が何かを買えば売り上げが変化し、お店の人が喜ぶ。ロビイストみたいな感じです。自分の好きな店に対して『あの店はおれが育てたんだ』と思う気持ちや、最近ダメになったねえ、と嘆いた経験は、皆、多少は持っているのでは」
「消費が(社会や経済の)サイクルを動かしていることを実感します。消費とは、生きることそのもの。だから、好きな店について考えることは、生きることを考えることと同じだと思っています。辺ぴな場所でも人が来る店には、よほどの何かがあります」
■店の人と客が一緒に作るクリエーティブな空間
――「家」を訪ねるのとは違いますか。
「僕は人の家には本当に行かない。誰かがうちに来ることもまずない。素で人とつきあうのが苦手なんでしょう。海外では(ホームパーティーなどで)人の家を訪ね合っているようですが、よほど訓練を積んでいるんだろうと思います」
「店は、外の人に対して開かれています。『主人と客』とか、役割を持ってつきあう方が僕は好きです。店は(音楽や演劇の公演会場と同じ)ライブの場。主人など店の人と客が、それぞれ役割を持ち、ルールを共有して、一緒に作るクリエーティブな空間だと思ってます。だから、店では着物姿のおかみさんが洋服姿で道を歩いている時に会うと戸惑う。店をやるということは、大変な、プロの仕事です。『ごっこ』では成り立たない」
「ルールって、本来はある方が楽しいものだと思うんです。人を生かすのがルール。でも、いま(の日本社会)は、人を縛るのが好きな人がルールを作ってるんですよね。お互いを生かすルールを作るには、アイデアが必要なんですが」
■所有することで不自由になってはいけない
――店も買い物も好き。買ったものがどんどん増えて大変では。
「いいえ。ものそのものには、あまり執着がありません。コレクションは、たいてい、途中でハッとしてやめます。集めたものに自分が縛られているな、と気づいたときにやめるんです。ものを買うことは楽しいけど、所有することで不自由になってはいけない。集めたモノは人にあげたりしてしまいます」
「一昨年、細川護熙さん(元首相)とお話したとき、美術品をたくさん持っていても何の意味もないとおっしゃっていました。最後は寄付するしかない。家や庭にしても、皆に来てもらって、公園として使ってもらったら幸せだ、と」
糸井重里氏
「このときから、ほしいけど手に入らないものがあるときには『これは、本当は僕のものだ』と考えることにしました。例えば広い公園。これは実は僕の家だけど、手入れは面倒だし、人が来てくれないのも寂しい。だから公園として使ってもらっているんだ。こう考えれば、所有していても所有していなくても、同じことになるでしょう?」
■昔の日本にはもっといいかげんさがあった
――皆が出入り自由な公園が好きなんですね。
「いまの公園で、気になるのが(寝そべることができないように)手すりをつけたベンチ。世の中全体があのベンチみたい。今の日本の象徴が、あのベンチです。余裕がない。昔の日本には、もっと(いい意味で)いいかげんさがあった気がします。皆が、こんなに忙しく働いて、やっと食えてる時代って、まずいんじゃないかなあ」
「いま、僕の家で大事なものは犬。命以外に、何か大切なものがありますか? 人が本当にほしいものは、そんなにないんです。東日本大震災で津波に何もかも流された人の話を聞けば分かります」
(聞き手は石鍋仁美、松本和佳)