藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

いかにつまらぬ(1)

ほぼ日より。
*[絶対に役立つ言葉]何がつまらぬ、と。
こういうカテゴリーのエントリは初めてだが、今日気づいた。
「使える言葉」だ。
言葉は言霊だというが、「言葉が繋がって意味を持つ」というのが今回のお題。
笑福亭松之助明石家さんま糸井重里、というビッグネームを持ち出すまでもなく。
(でもそういう人たちがいうとゴォオーンと響く)
毎日の拭き掃除が楽しいか、と問われれば楽しくない。
では何が楽しくない理由か。
お金がもらえないからか。
大して綺麗にもならないからか。
しかし綺麗になった様を眺めたら、気持ち良い。というのが家事の本質ではないか。
 
学校の授業も面白くない。(なかった)
だから真面目に受けなかったが、これでは二流のままだ。
この先生の「一体何がこうもつまらないのか」を考えるべきだった。
経済原論で、マルクス主義を唱える先生の、あれほどつまらない授業はどういう成り立ちだったのか。
ひょっとして自分に知識が備わっていれば面白かったのか。
いや、そうとも思えない。
だから自分がマルクスを説明するなら、せめてもう少し学生さんに興味を持ってもらえる説明をどうしただろうか。
ひょっとしてこれって池上彰さんのやっていることと同じなのだろうか。
(つづく)
 
 
 

糸井重里が毎日書くエッセイのようなもの今日のダーリン

・今年の2月に亡くなった方だが、
笑福亭松之助さんのことを、わりと何度も思い出す。
お会いしたことはないが、明石家さんまさんの師匠だ。
 
ぼくはなにかにつけて「たのしめ」と思うし、
人にも「たのしんでください」と言うのだけれど、
それはもう、じぶんの生きる方法みたいなものだ。
それには、モデルになった人とことばがあって、
ひとつは矢沢永吉が、何万人の聴衆を前にして、
緊張感が最高度に達したときに、じぶんに対して、
「たのしめ」と言うのだと聞いた、その「たのしめ」だ。
 
そしてもうひとつが、明石家さんまさんから聞いた
笑福亭松之助師匠のことばだった。
弟子入りしたさんまさんが掃除をしていると、
松之助師匠が「掃除はたのしいか?」と訊いたという。
さんまさんは、うれしそうにそのときのことを話した。
「『いいえ』って答えると『そやろ』って。
『そういうのがたのしいわけがない』と、
おっしゃるんです。
そのときに、師匠に、
『掃除はどうしたらたのしいか考えろ』って
言われたんですけど…そこでしたねぇ。
あの、掃除なんて、たのしくなるわけがないんですよ。
でも、『たのしくなることを考えてることはたのしい』。
っていうところにねぇ、
18歳のときに気づかせていただいたのが
非常に助かりましたね」と。
 
これはもう、明石家さんまにとってのめしのタネだが、
それを聞いたぼくにも、めしのタネになった。
とても感心したし、一生忘れない教えになった。
それを聞く前も、その後も、
たのしくないことは、もう、毎日、いくらでもある。
苦手だとか不得意なのにやらなきゃならないことも、
立場上やらなきゃまずいだろうということもある。
でも「どうやったらたのしくなるか」考えながらやる。
これを、ずっと続けているのは、実はたのしいのだ。
ぼくは「たのしめ」と言うたびに、
笑福亭松之助さんのことを思い出している。
 
今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
毎日「今日のダーリン」という文を書くのも、同じことさ。