藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

縁の下の力持ち。

よく使う大江戸線が暑いのには秘密があった。
と、それにしても失礼ながらたかが「列車の車内冷房」によくもこれだけ物語があるものだ、と驚かされる。
記者の情熱にも驚くばかり。
メトロ、JR、東部・西部・京成・京王・小田急・東急・京急と、関東の私鉄各社の設定温度の調査。
そして設定温度の根拠となる冷房設備の種類や年式の聞き込み。

さらに聞き込みは関西の鉄道各社にも及び、文化の差にまで言及する。
そして大江戸線
車内温度が高いりゆうには、その構造上の理由があったという。
車体の構造上、送風機を取り付ける場所がなかった車両が暑かった、というのは見事な調査。
さらに今も営団は冷房化率が低く、また「トンネル冷房」なるまったく違うアプローチの温度管理があったことにも驚いた。

そう言えば昔の地下鉄は、列車の出入り口のトンネル付近に立つと、妙に涼しい風が来たことを思い出した。あれはトンネル冷房だったのだろう。

40年前の「冷房車が御馳走」だった時代、今のような多層化し、相互乗り入れの嵐のような「マルチ鉄道網」の時代が来るとは思わなかった。
50年先のインフラは果たしてどうなっているだろうか。

陸上の搬送網も「オール電化」になっているのかもしれない。

大江戸線、冷房強いのになぜ暑い 鉄道各社の温度
2013/6/28 6:30ニュースソース日本経済新聞 電子版
丸ノ内線の天井には薄型のユニットクーラーがついている(東京メトロ提供)
 電車の冷房について、「ひとこと言いたい」人は多いだろう。涼しくて助かった日もあれば、暑くて汗が引かなかったり、はたまた寒すぎて震えたり。冷房の設定温度はどうなっているのか。どのような運用をしているのか。鉄道各社に尋ねた。
■東京の通勤電車、26度が大半
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 東京圏を走る通勤電車では、冷房温度を26度に設定しているところが多かった。「25度」と回答したJR東日本は「おおむね25度ですが、車両の性能などによって異なり、24度や26度の路線もあります」とのことだった。京成電鉄でも一部に24度、26度の車両があるという。
 JR東ではこれまで、2006年に山手線、2008年に中央線でそれぞれ24度から25度に変更するなど、新型車両の投入に伴い温度を引き上げてきた。「車両のタイプによって冷房の利き方はかなり違う」からだ。古い車両は低めに設定しているが、だからといって利きすぎるというわけでもない。
 24度に設定しているのは京浜東北線京葉線などで、東海道線は26度となっている。車両の新旧や冷房機器の性能、駅間距離などによって異なる。駅と駅が近くドアを頻繁に開ける路線は外気温の影響を受けやすく、その分低めに設定してあるようだ。
 各社とも震災後は1〜2度引き上げていたが、現在は震災前と同水準に戻している。ただ東京急行電鉄オフピーク(10時から16時)に走らせている「クールビズトレイン」では、一般車両で27度とやや高めの設定にしているという。
■関東では「弱冷房車」、関西では「弱冷車
 1編成の電車に1、2両ある弱冷房車は、一般車両より2度ほど高い。ただし東京メトロの銀座線と丸ノ内線弱冷房車がない。車両編成が短いためだ。
 ちなみに関東では「弱冷房車」という呼び方が定着しているが、関西では「弱冷車」と呼ぶことが多いようだ。関西の鉄道会社に「弱冷房車」について尋ねたら、「ああ、弱冷車ですね」と言い直されてしまった。何でも略す関西の文化なのか。
 この弱冷車JR西日本では「一般車両ともども、27度を目安にしている」という。それではわざわざ設定する意味がないのでは、とも思うが、弱冷車をどうするかを含めて今後検討する、とのことだった。
 ただしこの27度という温度設定も、すべての車両に適用されるわけではないという。路線の環境や車両のタイプ、天候状態などによって変わってくる。JR西も東と同様、路線によって環境が大きく異なり、すべて同じ運用というわけにはいかないようだ。
■23度でも「暑い」大江戸線、車両構造に制約
都営地下鉄大江戸線は23度に設定しているが、それでも「暑い」との声が寄せられるという
 関東各社の中で、突出して低かったのが都営地下鉄大江戸線だった。設定温度はなんと23度。なぜここまで低いのか。寒くならないのか。東京都の担当者に理由を聞いた。
 「大江戸線は車両が他の路線より小さいため、冷房機器も小さいものしか付けられませんでした。20畳の部屋に6畳用のクーラーを付けているようなもので、フルパワーで回さないと車内を冷やせないのです」(交通局運転課)
 東京都によると、23度に設定してもまだ「暑い」との苦情が寄せられているという。担当者も利きが悪いのは認めている。コスト削減努力が、思わぬところに影を落としている。
 車両構造上の制約は、別の部分にも影響を与えた。送風機だ。
 天井に取り付ける細長い送風機は、車内の空気をかき回し、冷房効率を高める。しかし大江戸線の場合、パンタグラフがある車両の天井部分に余裕がなく、長らく送風機が付けられなかったという。パンタグラフがある車両は2、4、5、7号車。この4つの車両は特に暑かった。
 そこで東京都は少しでも事態が改善するよう、弱冷房車の変更に踏み切る。2005年7月、これまで6号車に設定していた弱冷房車を、5号車に変えたのだ。送風機が付けられず、より冷えにくい5号車を弱冷房車にすれば、せめて6号車は少しでも涼しくなる、との判断だった。
 2008年には送風機の改良が進み、ようやくパンタグラフ下の天井にも小さな送風機が付けられるようになった。パワー不足は否めないものの、以前よりは多少、涼しくなっているようだ。
東京メトロ、車掌が内外の温度を体感してチェック
 それにしてもこの電車の温度設定、一日中同じ温度に設定しているのだろうか。外気温や混み具合で変わらないのだろうか。
東京メトロでは車掌が空調を細かく管理している(写真は銀座線に導入した新型車両1000系。東京メトロ提供)
 「自動モードもありますが、車掌が状況を見てスイッチを入れたり切ったりしています」
 東京メトロでは、毎朝その日の空調管理の指針をまとめ、車掌に伝えているという。
 天気予報のチェックはもちろん、時間帯ごとに混雑具合を読み、早めにスイッチを入れたり切ったりしている。さらには「実際に車両ではどんな状態になっているか、こまめに体感するよう車掌に指示しています」(運転課)。車掌室から出て乗客と同じ車両に入ることによって、冷房の利き具合を確認しているのだ。
■同じ車両でも「暑い」「寒い」が混在 適温には個人差
南海が1936年に導入した日本初の冷房車「クハ2802」(南海電気鉄道提供)
 路線によっては車掌が集まる事務所が地下にあり、外の天気がわかりにくいことがある。そのため時々地上に出て、外の天気を確かめているという。
 それでも今も苦情の多くは空調関係。「同じ車両に乗っていても、暑いと訴える人もいれば、寒いと感じる人もいます。個人差がかなり大きいのが現実です」。担当者は空調管理の難しさを痛感している。
 他社にも尋ねたところ、ほとんどの鉄道会社が天候などに応じた管理を行っていた。最新車両では、状況に応じて冷房と送風、除湿を自動で切り替える空調システムを備えたものもある。ただ、完全自動化された車両はまだ少なく、車掌がこまめに切り替えることが多い。熱を車内に入れない「熱線吸収ガラス」を採用するなど、冷房効率を高める工夫も広がっている。
 直通運転で他の路線から乗り入れてきた車両の場合はどうか。何社か聞いてみたところ、完全自動化された車両の場合は、車両を所有する鉄道会社の設定に従うという。ただし自動化されていない車両だとやはり車掌が管理するようだ。
■日本初の冷房車は南海 「涼しい車両」は関西が先行
 今でこそ当たり前になっている電車の冷房だが、すべての車両に導入されたのはそれほど昔のことではない。
 日本で初めて鉄道車両に冷房が入ったのは1936年(昭和11年)。南海鉄道(現・南海電気鉄道)が1両だけ設置した。南海の社史「南海電気鉄道100年史」によると、車掌室に空気冷却装置を取り付け、ダクトを通って車内に冷風が流れる仕組みだったという。開発したのはダイキン工業で、同社はその後、空調事業を拡大していく。
 冷房車は大好評で、「乗客が殺到してかえって暑くなった」と社史は記す。同社はさらに冷房車両を増やしていったものの、戦時色が日増しに強まる折、「ゼイタク」「資源の無駄遣い」と当局から指弾されてしまう。1938年(昭和13年)、南海は冷房車を取りやめ、冷房車の歴史はいったん途絶えた。
 戦後、本格的に冷房車を導入したのは名古屋鉄道で、1959年(昭和34年)のことだ。1968年(昭和43年)には京王帝都電鉄(現・京王電鉄)が通勤電車に取り入れ、急ピッチで冷房化率を高めていく。関東では京王がフロントランナーだった。
 ただし全国を見渡すと、関西の私鉄の方がその後の冷房の導入スピードが速かった。国内で最初に全車両の冷房化を達成したのは阪神電鉄で、1986年(昭和61年)だった。
 一方で、車両の冷房への取り組みが極めて遅かったのが東京の地下鉄だ。
 1988年(昭和63年)時点の冷房化率は関東私鉄各社が90%前後となっているのに対して、営団地下鉄(現・東京メトロ)は11%と大きな開きがあった。なぜここまで違ったのか。東京メトロに事情を聞いた。
■東京の地下鉄、駅とトンネル冷房を優先
 「車両の構造上の問題、トンネル内の温度上昇の問題などから、トンネル冷房を優先して進めてきた経緯があります」
 高度経済成長期の前まで地下鉄は涼しいといわれ、冷房は不要だった。しかし乗客が増えるにつれて車両の運転本数が増え、電車が発する熱がトンネルや駅の空気を暖めるようになった。地下鉄ならではの悩みだった。
 そこで営団は1965年(昭和40年)、「高温高湿対策委員会」を立ち上げた。まずは駅とトンネルを優先的に冷やすことを決め、1971年(昭和46年)から銀座線と丸ノ内線の一部に駅冷房・トンネル冷房を取り入れた。車両冷房を導入すると、その排熱でトンネル内がますます暑くなるからだ。
 1971年といえば、国鉄が山手線に冷房車を導入した次の年だ。先行していた私鉄各社も車両冷房に力を入れ始めていた。高温対策に乗り出した時期はさほど変わらなかったが、営団は駅とトンネルを冷やし、私鉄と国鉄は車両を冷やした。「歴史ある地下鉄」の宿命とはいえ、この方向性の違いが、後に車両の冷房化率の大きな差となって表れることになる。
 営団の冷房車が遅れたのには、もう一つ理由があった。車両の問題だ。営団の大半を占めていた旧型の車両には冷房を搭載する電力的・空間的余裕がなかったのだ。
 一方で営団の路線の中でも新型車両が多い半蔵門線は、早い段階で完全冷房化を実現している。南北線は開業当初からすべて冷房車両だった。これらの新型車両は熱の発生を抑えた制御方式を備えていた。
■東急や小田急の車両も営団管内では「冷房停止」
 こうした技術的な事情があったにせよ、トンネル冷房は乗客には不評だった。「暑いときは窓を開けて下さい」。アナウンスに従い窓を開けると、ゴーっとものすごい音が響き渡る――。覚えている方も多いだろう。
 さらに評判を落としたのは他社との直通運転だ。東急線小田急線から乗り入れた車両は、営団のエリアに入ったとたん、冷房を止めた。当時は冷房化率が乗客サービスの目安ともいわれていただけに、営団の「サービスの悪さ」が際立つ結果となった。
 営団が完全冷房化を達成したのは1996年(平成8年)。最後までてこずったのは車両が小さい銀座線と丸ノ内線で、小型で薄いユニットクーラーの登場を待つしかなかった。
 トンネル冷房はその後しばらくは残ったものの、2006年には廃止となった。
 今でこそ「寒い」との声がある電車の冷房だが、少し前までは「涼しい車内がサービス向上の証し」ととらえられてきた。もちろん、クールビズなど軽装化の影響もある。しかし、「サービス」への期待値が上がれば上がるほど、現場の苦労も増していく。(河尻定)