藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

データとのつきあい方。(その?)

二十代には想像もしなかったけれど、自分も年とともに「残り」について考えるようになってきた。

例えば「食事」についても無限ではなく、「限りある機会」だという意識も強くなってきている。

できるだけ、質の良いものを、TPOに合わせて摂りたい。というのはごく自然な欲求になってきた。
これまで十数カ国しか旅していないが、どの国に行って比べても日本の「食文化の充実度」は非常に高いと感じている。
端的に、日本より安くておいしい店に巡り合うことは珍しい。

そして、そんな日本でも飲食業というのは、いつの時代も戦国の世とばかりに群雄割拠が収まらない。
常に新しい店が出来ては、淘汰される店があり、また不動の地位を誇る老舗もある。
商業社会と何ら変わらない縮図の中、会社四季報ならぬ「グルメ本」も、書店の1コーナーを占有するほどにメジャーな存在になっている。

そうした「流行のお店」を特集した本を購入し、眺め、気分に任せて予約してみる(ということをしていたけれど)、というのはまだまだ情報の管理としては手ぬるい。

結局行き着いたのは、お店のデータベースを、クラウドで一括管理する、いわば自分だけの「グルメデータベース」を集積することだった。

ご存じの方も多いと思うが、実際の店を取材した記事というのは、大なり小なりバイアスがかかっている。
つまり「お勧めのお店」は必ずしも自分の好みに合うとは限らない、というか「合わないことの方が多い。」のである。
またそうでなくては、実際にリアル店舗を探訪してみる醍醐味もないのだけれど、まあ記事を鵜呑みにしていてはヒット率は結構低い。
また、「候補の店」として記憶していても、来週の「初めてのお客との会食」に思い出せないのでは意味がない。

池波正太郎先生ではないが、職の履歴というのも自分の価値観の中では残しておくべきデータではないだろうか。

今の自分は、かくして「見込み店のリスト」と「食事の種類」と「場所」について、一カ所で管理をしはじめたところである。

そのうち、時間が経つにつれ「お店の感想」とか「食材について」とか「洋食考」などといった自分なりの価値観論になればいいな、と思っている。
ともかくは、あふれるデータの整理から何事も始まるのだ。