藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

時代の産物。

『個人の自由度が上がること、が豊かさだと思っています。』という猪子さん。
asahi.comより。
何やら面白い物づくりをしている工房がある、というニュースは知っていたがこんなに面白い人が主宰だとは。
もう、記事中の会話を見ているだけでそのユニークな人間性が分かる。
「学校、超好きだったすよ。お昼くらいに行ってたけど」
「お昼くらいに行ってたけど。よく掃除の時間に着いて、友達と「もう終わりじゃん!」「まだ終わってねえよ」ってやり取りをしてました。掃除しないんですけどね。」とか。

 で、遅刻が多すぎた数人が毎月呼び出されて反省文を書かされる。一貫して「時間に対する概念は絶対的ではない」ということを説いた。国や歴史によって「時間観」は違った、今の日本のそれは局所的なものだ、とか何とか。毎月色んな角度から書く。反省文ていうかエッセー。先生、折れますよね。めんどくさすぎるでしょ、そんな生徒。

とか。
引用すればきりがないが、この人物が「絶対面白いはず」と思うのは自分だけではないだろう。
数学は好きだが英語は6点、とか
高校にランドセル背負って行く、とか
東大で逆玉に乗る、とか
逆玉なんかじゃねえ、とか

NHKスペシャルを見て「インターネット時代に触発されて起業を決めた」という軽快ぶりも痛快だが、何のことはない、ご本人は至って一番冷静である。

今おれは、あたかも独自の道を歩んでるような言われ方をするけど、極めて一般的な教育のレール、社会のレールの中で細かく逸脱してただけだと思いますよ。守られた中でふざけてた。

「結果が同じでも自分で確かめたかった」ということが猪子氏の核、のようだが、一つ一つそうしたことを噛みしめて、自分で判断しながらリアル世界を生きていける人は、実はとても少ない。
自分にも到底無理だったと思う。

知識を援用してショートカットをするのではなく、自分の頭だけで考えること。

この「知識の使い方」が大事なのだが、この辺りのことはまだ自分でもよく理解できていないと思う。

自分で確かめていない物は(芯からは)信用しない、ということを表明する勇気を持つ、ということだろうか。

遅刻の反省文に「時間の概念とは…」 猪子寿之さん
学校、超好きだったすよ。お昼くらいに行ってたけど。よく掃除の時間に着いて、友達と「もう終わりじゃん!」「まだ終わってねえよ」ってやり取りをしてました。掃除しないんですけどね。

* 特集:センター試験

 で、遅刻が多すぎた数人が毎月呼び出されて反省文を書かされる。一貫して「時間に対する概念は絶対的ではない」ということを説いた。国や歴史によって「時間観」は違った、今の日本のそれは局所的なものだ、とか何とか。毎月色んな角度から書く。反省文ていうかエッセー。先生、折れますよね。めんどくさすぎるでしょ、そんな生徒。
 県立だから、退学っていう伝家の宝刀が使えない。退学があったら、急にこっちの立場弱くなりますよ。高校、ふつうに出たいじゃないすか。大学も行きたいし。
■高校にランドセル、「コンテンポラリーアート
 放課後は町に行く。歩いて10分くらいの徳島駅前。ほかの高校のやつらもいて、「ようよう」ってやるだけ。何が楽しかったんだろうね。おれはヤンキーじゃなかったすよ。なぜならダサイから。学生ズボンはフレアになってるやつで、気持ち、ヒッピーカルチャーだったんだろうね。制服着てる時点でヒッピーじゃないけど。なんだこれ、思い出すと、極めて恥ずかしいっすね(笑い)。
 全然覚えてないんだけど、ランドセル背負って高校行ってたって証言もある。いま思えば、まあ、問題の提示かな。「何が違うんだっけ?学校だよね」みたいな感じ。何も考えずに思い込まれている「常識」に、からんでたんだと思います。大人的に言うと、あれだ、コンテンポラリーアートっすね。
 勉強は好きでした。先生の話は一切聞けない子だったけど。教科書とかよくできてるから、もらったら読んでましたね。国語だと、小説でも論文でも、サビだけピュッと入ってるわけですから。
 数学や物理は得意でしたけど、英語は8点とか6点とか。「苦手は捨てろ」みたいな戦略的なことじゃなく、単にやったけどできなかった(笑い)。長いの読めないんですよ。
■逆玉→インターネットで起業
 大学は、何が何でも東大に行こう、と思ってた。日本企業の時価総額トップ30とかあるじゃないですか。当時は、ほぼその全部が、旧財閥、旧国営、免許を国から与えられた産業、公共事業の会社の4種類。「ハンパなくおぞましい国だ」と思いましたね。
 社会が終わってるのはしょうがないとして、こんな超年功序列社会で出世しても、決定権持った時にはじいさん。だから、「逆玉だ」と思った。ワープしようと。調べたら、公共事業の会社の一つが、3代続けて社長が東大出の婿養子。東大行って逆玉、嫁の親の金で子会社でももらおう、と思ってました。
 だから受験には前向きで、塾にも行ったし、学校では、授業を聞かずに集中して受験勉強してました。
 受験直前の1995年、NHKで「新・電子立国」という番組をみました。シリコンバレーの話で、最終回に「これからはインターネットです」って。権力から許可を得た者しか発信できなかった「情報」を誰もが好きなように発信できる。社会全てが変わる気がして「超ロマンチックじゃん! 逆玉とかしてる場合じゃねえ」と盛り上がりました。
 「社会が変わるのに『旧社会』にいちゃいけない。江戸末期の徳川幕府に入るようなもんだ」と。現社会から一番遠いころに行こうと、投資を受けず、インターネットの世界で起業するって決めました。
■誰かが言う「常識」、うのみにしないで
 東大の意味なくなったなと思って、1年の時、ネットのことが学べる慶応大SFCを受け直した。合格したけど、面接してくれた教授に言われたんです。「君は学校という存在に過度に期待しすぎている。うちも、君の大学と同じで、校名で来ている人ばかりだ。さっさと卒業した方がいい」。自分でやるしかないんだってわかって、ラッキーでしたね。
 今おれは、あたかも独自の道を歩んでるような言われ方をするけど、極めて一般的な教育のレール、社会のレールの中で細かく逸脱してただけだと思いますよ。守られた中でふざけてた。
 ランドセルしょってたのも、エッセー反省文を書いてたのも。常識をいったん疑って、結果的に世間と同じ結論になったとしても、全部自分で確かめたかった。別にすべてを否定したかったわけじゃないんです。遅刻に関してなんて、先生が正しかったなとも思います。時間守る習慣つけるの、大事っすよ。今も苦労してます。
 ただ、世界は常に変わっていくし、価値観も大事なものも永遠に続くことはない。誰かが言うことをうのみにせず、自分で感じて、考えて、生きていければいいんじゃないかなと思います。(聞き手・小林恵士)
    ◇
 いのこ・としゆき 徳島市出身。2001年、東大工学部卒業と同時にチームラボ創業。チームラボは、情報社会のさまざまなものづくりのスペシャリストから構成されているウルトラテクノロジスト集団。サイエンス・テクノロジー・アート・デザインの境界線をあいまいにしながら、メディアを超えて活動中。36歳。
http://www.team-lab.net/