藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

自分のそれを語ること。

このブログでもずい分何度も自分の失敗について書いてきた。
自分の失敗と言えば、中学くらいから人間関係に躓いたり、学校社会に躓いたり、十代後半には友人とか家族の人間関係でも失敗があった。
今思えば不思議なのだが、とんでもない失敗や屈辱を感じたときに「よしこの思いを認めておこう」と"おれのせいやない!"とか"人のせいにすんなよ!"とかの語句を紙になぐり書きし、しばらく机の中にため込んでいたことがある。
二十歳を過ぎてそれを発見し「なんじゃこれ」と思って捨ててしまったが、思えば自分の失敗の記憶をどこかに残しておきたいという本能の所作だったのかもしれない。

思えば成功の体験よりも、何十倍も強烈で心にずしっと来るのが失敗とか不条理に出会った時の気持ちである。
そんな体験は自分の意思もあってか、あまり根深く残らない。(傷のように残るものもあるだろうけど)
自分の中では、なかなか失敗を客観的に捉えて次を考える、ということはしにくいものだと自戒する。
もう忘れてしまいたい、恥ずかしいことだけれど「それ」を心にとどめ置くことは自分にとってこそとても重要なことなのかもしれない。
自虐的だけれど、自分のこれまでの失敗を思い返したりしてみようと思うのである。

『世界のエリートの「失敗力」』 佐藤智恵さん
挫折を抱きしめて生きる米国の難関の経営大学院では「失敗体験」をテーマとしたエッセーが受験課題として度々出され、合否判定に深く関わるという。なぜか。人は失敗を語る時、人格がにじみ出る。勉強で簡単に身につかないのが失敗体験であり、人格だからだ。
NHKで報道番組や音楽番組の担当ディレクターだったが、20代後半で海外経験と専門性を身につけようと、米・コロンビア大経営大学院を受験。その時、わずか15分の番組の取材や編集で何度も失敗し、放送まで数か月かかった経験を話して評価された。入学後も、教壇に立つエリートたちが赤裸々に失敗談を語る様子に驚いたという。
「米国では、自分が楽だと感じる『コンフォートゾーン』を抜け出して挑戦する重要性が語られ、失敗が前向きに評価される。そのことを春から新しい環境を迎える人々に知ってほしい」と話す。経営大学院で教える「失敗力」や、マッキンゼーなど外資系企業社員の失敗例を紹介した。
減点主義の日本とはかけ離れていると思いきや、トヨタソニーなど国内企業の事例も手厚い。「失敗など外に出したくないはずなのに、一流企業ほど取材趣旨に賛同してくれて驚いた」。全社員に本書を配布した企業もあったという。
コロンビア大経営大学院でMBA(経営学修士)を取得後、外資コンサルティング会社などを経て、2012年から作家として独立。専門知識や現場経験を得て、NHK時代と同じ、伝える立場に戻った。「20代は小さな失敗でも人生が終わったような気持ちになったが、40代の今は耐性がついた。留学、転職、独立などの挑戦をして『失敗を抱きしめて生きている自分』は誇ってもいいのかな」(PHPビジネス新書、860円)清川仁