藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

つぶやきの恐怖。


二番目のこと。
ウェブ時代の最大の特徴である「短く、浅く、早く、」。
ブログやツイッターがこれほど流行る理由とか、携帯ゲームが普及するのはひたすらこうした「軽薄化」が進んでいるからだ。
(軽薄というワードよりはライト化、という方がいいかな)

より思考を留める時間が少なくなって、次々に「次の話題」に移り、前のことは忘却してゆく。
いつまでも以前の言説にこだわっていては、次に進めぬとばかりに早く早く、と。

スピードの凄さって痛いほど感じるけれど、一つ一つが「小さなパケット」ばかりで、そんな断片みたいなものばかりですべての時間を埋め尽くしたら、なんか小さな塵の山みたいなもので、何も残らないのではないだろうか。

ツイッターのつぶやきは「要約」という、俳句や短歌的な思考の修行を促したという効果と、つぶやいて終わり、という軽ち識が無いと、単なる愚痴に過ぎなくなる。
日常が愚痴とかつぶやきで埋まっているのは何とももったいないだろう。

ツイッターだけでなく。
自分も毎日にブログを書いていて、書くことが目的になっていないかとよく考える。
毎日毎日薄いつぶやきを書いているような恐怖感である。
まだその辺の結論が出せていないのだけれど、自分なりの結論が持てるまでもう少し続けてみようと思っている。