藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

あなたに言うから、私も頑張る。


Go for it!
Good luck!
Hang in there!
米国の友人の見解は、どれもちょっと違うらしい。
日本人が使う「それでは、頑張りましょう」というのとはニュアンスが違うらしいのだ。
友人曰く「本当に頑張れ!」というときに使うのが"頑張れ"であるとのこと。
日本人のように「お互いに元気出しましょう」というのとは違うらしい。
で、糸井さんのブログより。

 それぞれ、あなたも、わたしも、
 それぞれの道で、がんばろうねという感じだ。

つまり、相手へのメッセージとしての「頑張れ」だけではなく、どうも日本人のそれには「自分も」が入っているらしい。
つまり自分たちがメールの末尾に記している「頑張ってください」は、相手に対して一方的に発せられていのではなく、半分は「自分自身に対して」のものだという。
そう言われてみると、まことに日本人ぽい。
「私からあなた」に頑張ってください、という一方的なメッセージを贈るのではなく。
「頑張りましょう。あなたも、もちろん私もです。」という独特の遠慮というか、奥ゆかしさのようなものがある。
もちろん先輩から後輩に向かって「頑張れや!」というメッセージもあるのだけれど、多くの友人たちとの交信の中では、「頑張りましょう」「頑張ってください」というのは「自分も共に」という意味合いが込められているような気がする。

「あなたに"頑張って"というからには、私も自分にそう言い聞かせているのだよ。」そんな内省的なことを気遣って、言葉のやり取りをするのが日本人なのだろう。

そのニュアンスを拙い英語で友人に伝えることは難しかった。
彼曰く"OK,anyway,Go for it!"で会話は終了したのであった。

・「がんばれって言われるのは、つらい」
 という考えがあちこちで聞かれることがあった。
 考え方というのも、ひとつの流行のようなところがある。

 「がんばれって言われたって、
  がんばれない人だっているんだって、わかってください」
 「がんばれって言われるけど、
  もうがんばってるよ!」
 そういうことばをずいぶん見たり聞いたりした。
 そう言われたら、返すことばもなく、
 気をつけなきゃいけないな、と思うようになった。

 ただ、ぼく自身のことについて言うと、
 「がんばってください」と言われるのは、
 あんまりいやではなかった。
 冗談めかして「なにをがんばれっつーの?」と返したり、
 「はーい」と笑って返事したりね。
 なんか、手でぽんぽんっと肩を叩かれるような感じ。
 「頑張れ」ということばの意味など、もう関係なく、
 符丁みたいなものかもしれない。
 それでも、「がんばれ」のかわりに
 もっといい符丁を探そうとしても見つからなかった。
 
 しかし、先日、ふと、思いついてやってることがある。
 メールなどで、励ましたいなと思う相手に、
 「がんばってください」と書くのをやめたのだ。
 
 がんばれ、でもなく、
 がんばる、でもなく、
 それぞれに、がんばりましょう。

 そう書いたのだった。
 それぞれ、あなたも、わたしも、
 それぞれの道で、がんばろうねという感じだ。
 つまり、まぁ、理屈っぽくいえば、
 どっちも当事者として一所懸命にやっていこうね、と。
 これは、書いていてとても気持ちがよかった。
 「おまえはどうするんだ?」というじぶんへの問いかけ、
 そして、相手を認めていて励ましたい気持ち。
 その両方を並べることが、いちばん正直な気がしたのだ。

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