藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

120%て。

安保法案の討議が、奇しくもその強引さから「若者」の「政治そのもの」への関心を引き起こした。

そもそもがそんな狙いだったのかどうかは歴史がまた記述していくだろうけれど、戦後七十年で歴史観が何某かの動きを見せているようだ。

高度成長期は"経済"。
その後は「人権とIT」といった文脈で自然に動いてきた時代の価値観が、ここへきて「政治」に向いてきている空気は確かに感じる。

無関心は何もかもを封殺してしまうけれど、数十年続いた無関心のいわゆる「しらけ世代」の空気が変わり始めているのではないだろうか。
どうせ若者は知識も経験もないし、だから意思決定に参加などしなくていい、といった「大人たちの思い込み」はどうやら若者の本心を刺激してしまったようである。

というよりも、ついにそういう「精神的な成熟」が時代として到来したのかもしれない。

首相が、安保法案成立後の各論で、核兵器輸送の業務は「120%あり得ない」と発言したという。
「120%」と「あり得ない」どちらも現代の口語だ。(よく女子高生が使う)
パーセンテージは100%以上の言及に本来意味はないし、また「あり得ない」というのは今後を示す極めて科学的な意味で使われるはずの言葉である。
言葉がその言葉本来の意味では足りずに「さらに強調すること」を必要とし始めているのがこの"120%発言"なのではないだろうか。

言葉そのものだけではもはや足りず、その効果を出せる「補強の表現」が求めらているのが今の「ビジュアル時代」なのである。

活字の単なるテキストだけでは想像してもらいにくく、だから「さらなる表現」とか「映像」で追加で表現するのだ。

言葉がテキスト単体での表現力はこれから衰退してゆくのだと思うけれど、それらを補完してゆくのがITとかマルチメディアなのだろう。
テキスト情報だけの「粋な味わい」は消えてゆくけれど、表現の多様化は進む。
時代時代の表現ってそういう物なのではないだろうか。

首相、核兵器輸送「120%あり得ない」 予算委で強調朝日新聞デジタル 8月7日(金)20時10分配信

 安倍晋三首相は7日の衆院予算委員会で、安全保障関連法案が成立した場合でも、米国が自衛隊核兵器の輸送を依頼することは「120%あり得ない。机上の空論だ」と否定した。非核三原則の存在や、自衛隊核兵器を運ぶ能力がないことなどから、政策的な判断として核兵器を輸送することはないと強調した。

 法案では、戦争中の他国軍への後方支援として自衛隊が物資や人員を輸送することが盛り込まれている。何を輸送するかについて法律上の制限がなく、民主党山井和則氏は「政策判断で核兵器は輸送しない、という答弁では安心できない。法律に核兵器は除外すると書くべきだ」と訴えた。これに対し、首相は「国是として非核三原則を表明している。国是の上に法律を運用しているのは当然だ」と述べ、法律で禁止する必要はないとした。
朝日新聞社