藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

自分を疑えること。

よく優秀な弁護士は、過去の判例に囚われずに「新たな判決を目指す」と言われるけれど、ビジネスの世界でも同様ではないだろうか。
むしろ法律の世界のように定型的な事例の集積は少なく、つまり

周囲の環境とかそのケースが「まったく同じ事例」というのがない故に「実現できるかどうか」とか「成功するかどうか」とか「利用者に受け入れられるかどうか」ということについては意見が分かれるような感じがする。

そして、その世界で生きている専門家ほど「既知の知識と経験」を縁(よすが)に物の判断をしてしまう。
そう考えるとこれはビジネスの世界にも限らない。

大人、と言われる人たちは若者や子供と接すると同様の反応をしている。
「年長者の意見は聞くべし」というのは金言だと思うけれど、そこからは真新しいものは生まれにくいに違いない。
というか、自分たちは無意識に「新しい考え」とか「これまでにない発想」に接したときに「安定」とか「安全」を志向しているのじゃないだろうか。

ゆらゆらと何もないところから思考するのではなく、既存の知識とか経験に照らしてパッパッと回答を導く。

定型的な問題に解答を求めるには実に便利だし、それこそが経験のなせる業なのだが、何でも「それ」で済ませてしまうとイノベーションというのは生まれない。

むしろ素人考えでも大胆な発想とか、根源的な問いかけをするマインドがないと、いつしか硬直した年寄りになってしまうと思うのだ。

お年寄りの中にも、若者の発言に対して実に柔軟な対応をする人がいるけれど、そうした人は知識や経験を、どこかで常に疑い「ゼロベース」で考えてみることを知っているのだと思う。

新しい事業とかサービスを発想したら、まず簡単には諦めず、その道のプロと言われる人たちの意見も鵜呑みにしないで、自分なりの直感を信じてちょっと「しつこく」なってみるべきだ。

自分が自信を持っていて、「決まりきったこと」と思えることに懐疑的になる思考の余裕というのは、年を取るほどに忘れてはならないのではないだろうか。