藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

中年にも思春期。

社会に出て十余年。
気が付けば、その時の自分は色んな物に縛られているかもしれない。
いま思えば自分はそうだった。
それはともかく。
問題はその後のことだ。

年を取り、仕事も円熟期を超えたあたり、つまり「50歳以降くらいに自分はどんなことにこだわり、どんなことを目標に生活してゆくのか」ということは、若いうちから想像しておいて損はないと思う。
そんな風に見てみれば、自分の人生って結構自分でドライブできるものだ、ということにも気づく。

そりゃもう、周りに追いつくために無我夢中でいる時期もあっていい。
(というかあったほうがいいと思う)

けれど若いころの勢いとか"慣性"を持ったまま最後までは続かない。

人生の後半に向かって、「第二の青春」とか「第二の思春期」とも呼べるような時期が一生には必ず訪れるのじゃないかという気がするのである。

オッサンの思春期というのも、ちょっとキツい感じがするが、社会人の最期になって抜け殻のようになってしまうのではその後の時間がもったいない。

いずれ訪れる後半戦のことを、少しずつイメージしておいてはどうだろうか。
人生は連続しているけれど、案外長くて繰り返すものである。