藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

地図とは何だろう。

しばしば、地図に頼る。
そして自分で描く。

知らない土地や、都会の中でも初めて通る道を行くとしばしば迷子になる。

地図は、正しい道順は示さずとも「そこには何があるか」と「道はどこに通じているか」が分かる便利なツールだ。
逆に、地図を眺めていて「目的地」を思いつくことだってある。

「どこに何が必ずあるか」という情報は自分の方向を決める基礎データになる。

街中や旅先でもそうだが、それ以外にも。
仕事の地図、家族の地図、やりたいことの地図、そして人生の地図。(出ました)

どんなことをして遊んでいいか分からず、闇雲に手を出していると多分迷子になる。
迷子も悪いことではないが、脱出するには勘だけで動くより、やはり地図があったほうがいい。

何て言ったものの、自分の仕事の地図とか、人生の地図って思い返してもクネクネだらけの九十九(つづら)折りだ。

決して道に迷わずに歩いてこれたわけではないが、社会に出てから(学生時代にはそんなもんカケラもなかった)少しづつ時間が経つにつれ、「何となくこっちかもしれない」「多分この道はマズいぞ」なんて風にしてきたような気がする。
GPSでもありゃ、もっと広い範囲を見ながら賢い選択もできたろうに、残念ながら「自分の周囲」を見ながらの行きつ戻りつが今の自分である。

で何が言いたかったかというと、自分なりに何か「自分に関する地図」を考えてみても面白いかも、と思ったのだ。

(よくマインドマップ、というけれどあれはさっぱりわからない)
よくキャリアマップなんていうけれど、そういう無機質なものではなく、もう少し「これまで」と「これから」の道筋を考える材料を並べてみてはどうだろうか。「コンピタンス」とかいうけれど、もう少し「これからの自分」を想像するための自分地図がいいと思う。
(つづく)