藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

現場で感じること。

radiko.jp

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radikoでラジオを聞いていて改めて思うのが「機動力」だ。
テレビに比べて"映像"がない分、俊敏に番組が作れている感じがとても強い。
顕著なのは「報道系」のコンテンツだ。
あらゆる時事問題について、「テレビや新聞が取材し、記事や映像をまとめている間」に、「その分野の専門家を番組にバンバン呼んで」その場でコメントを得てしまう。

ある意味「テキスト編集の時間」すら短縮してしまうやり方はゲリラ的ですらあると思う。
ただフットワークは自由自在だ。

サブカルチャーから、米大統領選やお天気情報まで、「ほぼすべての話題」にリーチがすぐ届く。
つまりテレビに比べて話題の選定も自由だし、創造性もデザイン性も高くなる。

ラジオはつまり自由度が高いメディアなのだ。
メディアとしての「接しやすさ」と「自由度」という意味では出色だろうと思う。

radikoのアプリが普及し、今またアーカイブスまでが準備されようとしているのは「メディアとしてのラジオ復権」のような気もする。
「これまでのコンテンツ」とか「これからのコンテンツの意味」を本当に理解しているプロデューサーが、次のメディアを主導していくのだと思う。
案外「便利で、優れた事実」の前では一般人は素直に行動するのだと思う。