藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

アプリの時代。

スマートフォンが登場して、ユーザーが通信キャリアやメーカーから劇的に解放された。
ということは知っているつもりだった。
ゲームにしろ、グルメ情報にしろ、辞書にしろ、「何でも入れて携帯できる」ということの便利さはすごいものだ、ということを実感する。
そのソフトを携帯していることにより、「距離と時間の制約がなくなるすごさ」である。

そして、最近のアプリは「さらに仕事をする」ことが分かった。
知っていたつもりだが、体験するとこれはすごい。

よく投資のコツを書いた本に、「コツコツと小金を貯め」てから「再投資を促す」というのがあるが、あれにどこか似ている。

メディアの終焉

たとえばjazzradioというアプリ(というかサイト)がある。
アプリはスマホ向けにインターフェースしてくれるのだが、これがすごい。
radiko(ラジコ)なんてサイトもあるが比較にならないと思う。

この"jazzradio"は、CMがないのである。

これはradikoを聴いていた人が、みな不快に思うだろうプッシュ型の宣伝に辟易ししていた人は皆口にしている。
チャンネルの数も多い。
current jazz
trumpet jazz
saxphone jazz



さらには
smooth jazz
gypsy jazz
pieno,guitar,おまけにparis caffeなんてのも。


自分は朝起きてすぐに"latin jazz"を聴いて快調に過ごしているが、つくづく「編集のありがたみ」を感じてやまない。
また既存の放送局というものも、その業態がそう遠くないうちに変態するのではないだろうか。

局単位、番組単位で課金する、というスタイルを取り、番組ごとのスポンサード方式は近々終わるのではないかと予感する。

そうした"細やかさ"を身につけねば、早晩放送メディアはこうした"ボトムアップ型"の工夫されたサイトに駆逐されてしまうだろうと思う。
また逆にそうしたサイトには、相当の対価を払うということが抵抗なく納得できるのである。

好きな番組やコンテンツを、好きなだけ。
そんな時代はもう始まっていた。