藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

借金という性質。

薬物は一度手を出すと、自分の意思では止められないらしい。
恐ろしい存在だ。
そしてお金もしばしば「麻薬」に例えられる。

自分自身の経験で言っても、銀行借入というものをするまでは「そんな恐ろしいこと」と思っていた、けど。
一度そのハードルを越えてしまえば三回もすれば「それ」が常態化する。

麻薬漬け、とそっくりである。

そして自分自身に言う。
「借入は投資のためだ」と。

国が国債を特定の目的に限って「例外扱い」しようとしているらしい。
例外は例外を生み。
そしてみんなが「その道」を指向するようになり。
そして規制やルールは骨抜きにされていく。

都合のいい方便で次の世代にごまかしをしてはならないと思う。

「ツケ先送り」オバケ再び 日本国債 描けぬ出口(4)
子ども・教育…変幻自在

2017/3/9付日本経済新聞 朝刊
 昨年末、A4判1枚の紙が霞が関を駆け巡った。タイトルは「科学技術国債の可能性について」。基礎研究の費用など国の研究開発費の財源を「科学技術国債」の発行で賄う、いわば「第二の建設国債」の創設案だった。当初は「文部科学省の悪乗り」と受け流す向きもあったが、それは始まりにすぎなかった。


 同じころ、安倍晋三首相に近い下村博文自民党幹事長代行は首相官邸でこう進言した。「教育国債を含めた教育費の財源確保に向けて党の議論を始めてもいいでしょうか」。大学や幼稚園などの教育無償化に必要なお金は最大で年6兆円。首相は「いいんじゃない。やっぱり財源論は重要だね」と応じ、党に総裁直属の特命チームができた。

■資産の側面強調
 検討の俎上(そじょう)に載ったのは「教育国債」。馳浩文科相は「未来への投資という観点で取り組んでいきたい」と意欲を表明。民進党が提案する「子ども国債」と共に将来世代への負担先送りを与野党が競う。

 雨後のたけのこのような国債の新設案。発端は建設国債を2.7兆円発行した16年度第2次補正予算だった。事業規模28兆円の経済対策の陰で小泉政権の「特殊法人改革」で自粛を決めたはずの出資金への建設国債の発行が解禁されていた。

 共通するのは公共事業などに使い道を限る建設国債を償還財源なしに拡充しようという発想だ。財政法4条で規定する建設国債赤字国債のように公債特例法案を国会に提出しなくても発行できる。「政治的なハードルが低い」特性がある。

 政府・与党内の動きに油をそそぐように首相は昨年、周辺にこう漏らしている。「建設国債は財政の指標で別にすべきじゃないのか」

 道路などのインフラは借金としての側面と共に国の資産としての顔がある。建設国債を単純に借金として換算するのをやめて基礎的財政収支などの対象経費から外せば、歳出拡大の余地は大きく増えるというわけだ。かつて乱発された建設国債の亡霊が、新たな歳出メニューを前にまたぞろ顔をのぞかせている。

■警句もむなしく
 海外でも日本の建設国債のように使い道を限る国債がないわけではない。パリ協定を主導したフランス。環境維持などに使途を限定する「環境債」を1月に初めて発行した。環境性能の高いインフラ整備などに活用でき、日本の建設国債に似通った仕組みにも映る。

 だがフランス大使館によると「環境債はすでにある予算の財源にしか使われない」(エンギュイエン財務参事官)。日本のように新たな支出には充てず、全体の歳出規模も膨らまないという。使い道も第三者機関が数十年にわたって厳しくチェックしている。

 1966年、戦後初の建設国債を発行した際に財政制度審議会が発した警句がむなしく響く。

 「経常歳出をあくまで経常歳入でまかなうのは、いかなる場合でも守るべき大原則としなければいけない」