藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

自分はどんな曲者か。

最近、発達障害とかADHDとかいう言葉をよく耳にする。
昔にはなかった病名も、医療が進むにつれどんどん解明され、新しい病名がついていく。

発達障害、と聞くと何やら重い病のように聞こえるが、どうもそうではないらしい。
発達の偏在とか、性向というようなことだという。
自分たちの周囲にも「ちょっと変わった癖のある人」というのはざらにいる。
というか「全く癖のない人」なんているだろうか。
つまり自分も…

自分がどれほど「まっとうな社会人」なのかどうか。
については少々言いたいこともあるけれど、まだそういうのってどちらかというと「表の世界の話」だ。
むしろ気になるのはあっちの話。
「実は年上(年下)にしか興味がない」とか。
「実は和服に…」とか
「実は幼児が…」とかいう話になると、もう他人には決して話せない話題だ。
LGBTとか人種偏見なんかについては、ここ半世紀でものすごく進歩して、開放的で多様なことを認める社会になっていてるけれど、未だに「闇の部分」は残っている。

自分で自分を知るための性癖チェッカーがあってもいいのではないか。
あまり他人と意見交換しない、一番秘めた部分だからこそ。

別にそれで「危ないから当局に通報する」というようなものではなく。

ただ、自分自身で「自分ってどの程度の位置にいるのかな」ということを見るための鏡のようなものを。

自分では最も「普通だよ」と思っていることが「かなり偏っているよ」ということは、日常でも自分たちはしばしば経験している。
案外「フジノさんって変わってるねー」なんてことは幾つもあるかもしれない。
まず当人にシグナルを送ってあげることが大事じゃないだろうか。