藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

優先したいこと。

増え続けていく未読本を片付けながらそもそもを考える。
仕事で必要な本だけ読んで、読みたがっているはずの一般教養的なものは溜まるばかり。
このバランスが悪いのはなぜか?それはつまり精神のバランスが悪いっちゅー話だと気づいた。
この歳で未だに「◯◯整理法」とか「◯◯仕事術」とかに目がいく。
オレよ、一生整理してるつもりかよ、と言いたくなる。

糸井さんのエッセイを読んでいて、つくづく「本当に行きたい方向」とか「先々やるべきこと」を考える時間って少ないなぁと改めて驚いた。

新規事業とか、人付き合いでもそうだが「本当にやるべきか」とか「この人と付き合いたいか」とかいうことって、そんなに長いこと考えずに「なんとなく」ことが進んでいく。

なんとなく手がけ始めて、いろいろ躓いたり喜んだりしながら「層」のように経験が重なって、そのうち地層になってゆく。
けれどそれが「当初予想していたもの」かどうかを検証できるのは10年とか経った後だ。

改めて離れて(振り返って)みれば「うぁー、こんなだっけ?」ってことも少なくない。
いやいや大事なのは、そんなに何度もこの振り返りってないってことだ。
10年に一度なら、私の場合は後二、三回でお終いだ。(汗)

よく先々の目標を持って、などと言うけれどどうもボンヤリと山を眺めているようではっきりしない。
航海の行くべき方向をちゃんと決めなきゃ、と真剣に思った次第です。

ほぼ日刊イトイ新聞

・1泊だけだったけれど、合宿をやってきた。
 未来につながることを考えるのに、
 ちょっと日々の問題から距離を置いてみようと、
 あえて、東京を離れて会議室にこもって話しあいをした。
 むろん、足元のことも大事なのだけれど、
 視線の先に足と地面しかないというようなことでは、
 転んでしまうし、希望も生まれないだろう。
 会議、ごはん、温泉、睡眠を、バランスよく混ぜると、
 むつかしいことや、途方もないことを話しあっていても、
 機嫌よく会話のラリーが続けられる。

「前々から漠然と思っていたことなんだけど、
 ぼわ〜っと言えばこんなことなのかなぁ」
 というようなことを、やわらかいまま、その場に置く。
 そいつを、眺めたりもんだりしながら話をする。
 すると、じぶんの得意でない部分を、なんとなく
 いいかげんにしていたということがわかる。
 その部分について得意なメンバーが、すぐに助けを出す。
 そこんところが埋められるなら、もっと具体的になるぞ。
 だったら、もっと思いきって、こういうことにしようか。
 それはおもしろい、さっそく調べてみよう。
 というような具合に、ずいぶんいろんなことが話せた。

「夢に手足を。」の、夢の部分がぼーっと明るく見えて、
 それに手足をつけていく方法が語られていく。
 こんなにおもしろいことはない。
 ぼく自身が、「5月になったら休むよ」と宣言して、
 休んだつもりで生活している最中なのも、
 今回の合宿のためには、とてもよかったかもしれない。

「じぶんがおもしろいと思えて、
 たくさんの人がよろこんでくれる」
 そういうことを考えついたり、実行したりするのは、
 実にまったく幸福なことだと思う。
 「やらなきゃならないことを見つけては、
 それを、いやだけどやっていく」ということも、
 もちろんたくさんあるのだけれど、それだけだと、
 せっかく生まれてきたよろこびをすり減らしてしまう。
 視線を、やや遠くへ向けて飛ばしていく。
 そういうことを、ときどきやっていこうと思ったねー。

今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
うれしさは、髪を切る、お湯につかる、清潔な布団で寝る。

土曜日、日曜日と祝日の「ほぼ日」は9時に更新しています。
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