藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

隙間のミッション。

旅行とかゴルフとか麻雀とかの趣味はない。
けれど酒を飲む。
で時間が足りない。
朝は早起きすれば何時間かが使える。
けれど夜は残念だ。

じゃあお酒を止めようか、とはまだ思えない。
止めたらまた、いろんな時間が過ごせるだろうに、と思いつつ。

で「それ以外」ではなんとかならんのかい、と自問する。
"細切れ時間"の活用というのは確かにある。
バスや電車での移動。
待ち合わせ時間の待ち時間。
風呂トイレ。
筋トレ中とか。
歩行中も。

これまではある意味「のんべんだらり」と充てていた「すきま時間」にミッションを与えてみている。

今日の移動の三十分で「シルバー新報一冊」とか。
この一時間の喫茶店での休憩で、パンフレットの下書きの完成、とか。
今日の晩飯の居酒屋で、次の企画のシナリオを決めてしまう、とか。

細かい空き時間に「あえてミッションを設定する」というのは割合に効率がいいようだ。
ただお茶を飲みに行くのではなく。
「よし、ここでカフェオレを飲む間に、提案書のスライドは全部校正するぞ」などという小さな目標は案外意識しやすい。

酒をやめるまでのしばらく、こうしてちまちまと「隙間時間の管理」をしていこうと思っている。

ほぼ日刊イトイ新聞 - 昨日の「今日のダーリン」

・この時期も「ほぼ日」のあちこちで、
 いろんなことが語られていますが、
 カレーだの、地球だの、犬だの猫だの、手帳だの、
 生活のたのしみだのに混じって、
 どういうわけか「シェークスピア」という単語が、
 ひょいひょいと飛び出しているのはご存じあるまいね。
 主に、「ほぼ日の学校」の河野通和の周辺ですが、
 この関係のミーティングは、まずは、すべて、
 「シェークスピア」を中心に回っているのです。
 偉大なものというのは、こんなふうに、
 なんでもその大渦に巻きこんでしまうものなんだな、と、
 16世紀英国の演劇の人に感心するばかりです。

「ほぼ日」とシェークスピアって、
 ちょっと遠く思われるかもしれませんが、
 探っていくごとに、ぐいぐいと近づいているんです。
 シェークスピアを学ぶ、という学校でもあるのですが、
 シェークスピアに巻きこまれること、
 シェークスピアになっていくこと、みたいな感じは、
 スタッフとして働いているうちに、
 不遜にも、だんだんわかりかけているような。
 なによりも、素晴しい講師の方々が、それぞれに
 「これは他の講師の方の授業を、わたしも参加できる?」
 と質問してくれること。
 これがおもしろくならないわけはない、とかね、
 エンジンがかかってきているのであります。
 シェークスピアに感謝で、古典に感謝です。

・「ほぼ日」も昨日から夏休みに入っています。
 休むっていうのは、消費することと同じように、
 知恵と工夫があるとぐーんとおもしろくなります。
 先日、クリエイティブディレクターのNIGOさんに
 初めてお会いしたのですが、いい刺激になったなぁ。
 失礼ながらものすごく端的に言ってしまえば、
 「これはおれの好きなもの」という力の塊ですよね。
 その好きなものを並べたり味わったりしていると、
 「NIGOの世界」が立ち現れてくるわけでしょう。
 できない、これは、並みの才能ではやり通せない。
 北大路魯山人とかがやっていたことを、
 まったく別の角度から現代に持ってきたという感じかな。

今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
いろいろ秋に、秋に、ということが多くて、たいへんだ〜。