藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

真に競うべきもの。

敵か味方か。
白か黒か、と同じくらい分かりやすい対立軸。

そのように考えると「どちらでもない」とか「時と場合による」というような曖昧な思考を排除できる。
けれど、実はその曖昧なところこそが大事なのだと思う。

さて。

首相の祖父、岸信介元首相も『岸信介証言録』で「対立する敵がいなければ駄目だ」と説いている。
敵がいてこそ強くなるし、敵をつくるほど信念が固くなければ成果を出せないということなのだろう。

自分の意思が強く大きいほど「その反対」を考えて練り込むことは重要なことだ。
おごらずに、冷静に自分のやろうとすることを検証する。
けれどそれは「敵」を作ることではないと思う。

自分の知る限り、未成熟で脆弱な組織ほど「仮想敵」をこしらえて「いざ!」という傾向が強い。
つまり外敵を作っておかねば「自重に耐えられない」のである。

本当に強くて実力のある組織というのは「自立」とか「思想」とか「志」というもので成り立っているように思う。

ともかく外部に「仮想敵」を作り、内部の人をはやし立てて「野次馬式マネジメント」をしている組織とか会社とか国とかは、今一度「自分の組織の中身」について考え直す必要があるだろう。
隣国もそうだし、日本も間違いなくそうだと思う。

敵か友か 対立を超えて

 「私には敵はいない」。7月13日に亡くなったノーベル平和賞受賞者で中国の民主活動家、劉暁波氏の言葉だ。約10年前、北京の喫茶店でよく話を聞いた。敵対意識は争いをあおりたて、恨みは良識をむしばむ、という考えだった。中国当局の弾圧にもかかわらず、寛容な姿勢に驚いた。

 劉氏が習近平世代に期待を抱いていたのも意外だった。「胡錦濤ら第4世代が受けた教育は毛沢東時代のものだ。習近平ら第5世代が教育を受けた背景は我々の世代と変わらない」と話していた。だが期待は裏切られた。習近平指導部は劉氏を「敵」とみなして事実上の獄死に追いやった。

 権力を持つ側にとっては敵への警戒は解けない。政治学で「友敵理論」と呼ぶ考え方がある。ドイツの法学者カール・シュミットが唱えたもので、友と敵とを分け、敵を滅ぼそうとするのが政治の本質だとした。

 「敵はどこにいるか分からない。いないように見えて潜んでいる。敵にやられないためには徹底的に敵をたたきのめす」。「安倍1強」と言われていた春ごろ、安倍晋三首相は周囲にこう漏らしたことがある。

 首相の祖父、岸信介元首相も『岸信介証言録』で「対立する敵がいなければ駄目だ」と説いている。敵がいてこそ強くなるし、敵をつくるほど信念が固くなければ成果を出せないということなのだろう。

 首相の出身派閥の先輩で元財務相尾身幸次氏は「首相の父、安倍晋太郎氏は懐が広くて人がよかった。晋三氏も懐が広いけど、人がいいのとはちょっと違う。晋太郎氏よりも晋三氏の方が厳しいのではないか」と語る。厳しいのは悪いことじゃない。「いい子の政治家なら憲法改正はしない方が楽。内閣支持率も下がらない」とし、政権の体力を奪っても改憲をなし遂げることに期待を示す。

 外交は「51対49」でぎりぎり勝つのが最もいい。大負けした国で問題になり、禍根を残すからだ。でも政界は一寸先は闇。こてんぱんにやっつけないと反転攻勢の機会を与えてしまう。与党や官僚も含めて身内が反乱するリスクも潜む。

 そんな警戒感の一端が出たのかもしれない。「こんな人たちに私たちは負けるわけにはいかない」。首相は7月1日の東京都議選の街頭演説で、ヤジを飛ばす一部の聴衆に言い放った。

 「こんな人たち」とはどんな人たちだったのか。首相は7月24日の衆院予算委員会で「選挙演説を妨害するようなことに対して負けるわけにいかない」との意図だったと釈明。自分を批判する人を排除しようとする考えはなかったという。

 ただ、「こんな人たち」という目に見える「敵」を明示したのはたしかだ。敵と味方の境界線をくっきり引いたように聞こえた。

 昨年の米大統領選ではトランプ氏が応援集会で妨害者が入ると「つまみ出せ」と号令をかける場面が繰り返された。米社会の分断を象徴する風景だった。「こんな人たち」と言い返した首相も日本社会の分断につながるような強硬な姿に映り、内閣支持率を下げた一因との見方は多い。

 友との関係では「友情を大事にしすぎる」との批判は消えない。失言した稲田朋美元防衛相をかばい続けたことなどが背景だが、敵への厳しさが目立つあまり友を守るイメージが濃くなる面もある。

 3日の内閣改造でお友達系の閣僚は減った。改憲について首相は自ら示したスケジュールにこだわらない柔軟姿勢に転じた。丁寧さと謙虚さを強調するが、根底に流れる友敵理論が強引さを伴って再び出れば、国民の不信は増しかねない。

(政治部次長 佐藤賢