藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

志は結果を残す。

ウーバー、エアビー。
次はWeWork。なるほどこんなオフィスなら楽しそうだ。
事業カテゴリーは「オフィス仲介」という。
世に仲介業者はあまた存在する中で、

「文化が僕たちの財産」。
とCEOのアダム・ニューマン氏。

facebooktwitterにも驚かされたけれど、ライドシェア、民泊、の次は「シェアオフィス」。

世界52都市に163カ所を展開(15年末の3倍)。
2900人超の従業員が15万人の会員のために約100万平方メートルのスペースを管理しており(後略)

要するにオフィス仲介業というカテゴリーだが、

投資家は──とりわけ孫は──WeWorkが世界中ほぼすべての働く人のオフィス体験を変えることに懸けている。
ただの賃貸オフィス仲介業者と「オフィス体験を提供する会社」というコンセプトの差が、2兆円余の差をつけた。

こういう話を聞くと、"目線の置き所"がダサいだけで、実は自分たちの周囲にはそうした「大化けの種」がいくらでも残されているような気になってくる。

「文化が財産」「世界中のワーカーのオフィス体験を変える」。
そこまでの目線の高さが、ひいては全く別の業界ナンバーワンを作り出すようだ。
ついつい数歩先にばかり行きがちな目線を、ぐっと上げてみる必要があると思っている。

孫正義、WeWorkへの即決40億ドル出資の舞台裏
2/2(金) 8:00配信
「頭がいい奴とクレイジーな奴。戦いに勝つのはどちらだと思う?」

ソフトバンク孫正義は、WeWork経営者の2人にこう投げかけた。古い枠組みを壊し、新たな経済圏を作るのは、いつも異端児たちのクレイジーなストーリーだ。

ウーバー、エアビーアンドビーに次ぐ企業価値200億ドルをつけた「WeWork」。新しいオフィスの概念はもはや大企業をのみ込み、世界の働き方を変えようとしている。

孫正義が会いにくる。

その日、WeWorkのCEOアダム・ニューマンは、落ち着きなくニューヨークの本社オフィスを歩き回っていた。

ソフトバンクのトップで、日本で最も裕福な資産家であり、世界で最もパワフルな投資家のひとりである孫正義が、WeWorkにやってくる。孫は2時間を費やし、社内を見学したいのだという。ところがすでに1時間半、到着は遅れていた。

「マサは到着するなり腕時計に目をやり、『悪いが、12分しか時間がない』と言ったんだ」と、ニューマンは振り返る。その言葉通り、社内ツアーはきっかり12分間で終わりを告げた。しかし、孫はニューマンに自分の車に同乗するチャンスを与えた。ニューマンはプレゼン資料をつかんで車に乗り込み、ふたりは、後に200億ドルの価値を生むドライブに出かけたのである。

孫が惚れ込んだ 実行力

孫はニューマンにプレゼン資料をしまうように言うと、iPadを取り出し、投資のアウトラインをスケッチし始めた。

「あの規模の会社にしては評価額が高過ぎると思いました。しかも、簡単に模倣されかねない事業だとも」と、孫は振り返る。

「けれど実際、誰も真似できなかった。言うのは簡単、しかし形にするのは難しいアイデアだったんです。WeWorkは、彼ら自身が有言実行であることを証明していた」。車が目的地に着くころ、孫はiPadのスケッチの下に自身の名をサインし、その隣に線を引いてニューマンにペンを渡した。「いまでも思い出すと鳥肌が立ちます」。そう、38歳の元イスラエル海軍士官、ニューマンは言う。

iPadの契約書は、弁護士の手を経て2部構成の取引となった。ソフトバンクは、30億ドルをWeWorkに直接出資。うち13億ドルは既存の従業員株の公開買い付け、17億ドルは新規株式の形をとる。

それとは別に14億ドルを出資し、これはWeWorkがアジアに進出するための3つの新たな事業体に振り分ける。「WeWork Japan」「WeWork Pacific」、そして「WeWork China」だ。ニューマンのチームがオフィススペースの建築と運営を担い、ソフトバンクが現地のさまざまな関係者に対応する。

こうしてWeWorkの企業価値は200億ドルに跳ね上がった。不動産、ホスピタリティ、テクノロジー業界をまたぐ同社の評価額は、ホテル経営のヒルトン・ワールドワイドとほぼ同等。商業不動産大手のボストン・プロパティーズや、ソーシャルメディア界の寵児であるスナップをもしのぐ。

いま現在、米国のスタートアップで200億ドル以上の評価額がついているのは、ウーバーとエアビーアンドビーだけだ(政府機関向けビッグデータ分析のパランティアには、WeWorkと同等の評価額がついている)。

WeWorkはオフィス会社だが、所有する不動産はゼロ。ウーバーやエアビーアンドビーと同様、WeWorkも本質的には仲介業者だ。不動産オーナーから卸値でスペースを借り、そこに柔軟な賃貸契約、洗練されたデザイン、インターネットや受付、郵便物の受け取り、清掃といったサービス(無料のコーヒーとビールもある)を付加することで、面積当たりの賃料単価を上げている。

通常、法人の不動産契約は複数年のコミットメントが必要だが、WeWorkなら月単位で契約ができる。会員企業は不動産に対する圧倒的なフレキシビリティを得られるのだ。

2010年にニューヨーク市内の1カ所からスタートし、現在、世界52都市に163カ所を展開(15年末の3倍)。2900人超の従業員が15万人の会員のために約100万平方メートルのスペースを管理しており、料金プランはフリーアドレスで月額220ドルから。大人数用のカスタマイズプランも充実しており、50人規模であれば月額2万2000ドルから。複数フロアを用いた数百人単位の入居も増加している。17年度の収益予測は13億ドル(営業利益率は約30%)で、株価売上高倍率(PSR)は、従来の成長企業を上回る。

    • {200億ドルの評価額は高過ぎなのか?}--

とはいえ、200億ドルの評価額は高過ぎはしないか。たとえばこれを現在の会員数で割ると13万3333ドル。しかし会員ひとりがもたらす年間収益は平均8000ドルだ(しかも会員は月単位で退会可能)。また、面積当たりでいえば1坪7万1160ドルになるが、テックハブであるテキサス州オースティンの一等地ですら、1坪は1万1564ドルである。

「投資家は、200億ドルの価値があるコワーキング会社に投資しているわけではありません。そんな会社は存在しませんから」とニューマンは言う。「WeWorkの現在の企業価値と規模は、収益よりも、企業としてのエネルギーと精神によるものが大きいと考えています」。

確かに、孫が現れる前から、ベンチマークやフィデリティ、ゴールドマン・サックスJPモルガンなどが同社に15億ドルを出資してきた。彼らは、従来の指標では、WeWorkの革新的な事業モデルの価値が反映されないと考えている。

WeWorkを「ひとつの生き方」と呼ぶJPモルガンのジェイミー・ダイモンCEOは言う。「WeWorkはホスピタリティとテクノロジーのハイブリッド企業を構築した。不動産業界にあるほかのどんな企業とも、まったく違う」。

とはいえ、スタートアップにサービスを提供しているだけでは、成長には限りがある。投資家は──とりわけ孫は──WeWorkが世界中ほぼすべての働く人のオフィス体験を変えることに懸けている。

同社はこの数年で、ゼネラル・モーターズゼネラル・エレクトリックサムスン、セールスフォース、マッキンゼーバンク・オブ・アメリカバカルディといった大企業と契約。数百人単位の入居には複数のフロアを個別カスタマイズで占有させ、また、年始にはグリニッジ・ビレッジにあるビル1棟を丸ごとIBMのオフィスに充てている。現在、大企業が月間売り上げの30%を生む。

「WeWorkは弊社にとって、いまや不動産ソリューションの基本です」と、マイクロソフトでオフィス365のマーケティングを取り仕切るマット・ドノバンは語る。ドノバンはこれまで、300人以上の従業員をWeWorkのオフィスに入居させてきた。「さまざまなロケーションで利用できるし、弊社の製品を使っているWeWork会員の洞察を聞くこともできる」。

成長中の企業にとっては、手間とコストを抑えながら、新しい市場に打って出る拠点にもなる。「完全にワンストップですべてが揃う」と、スライブ・キャピタルの創業者、ジョシュア・クシュナーは言う。

クシュナーは保険のスタートアップ「オスカー・ヘルス」の共同創業者でもあり、同社はWeWorkのオフィスからロサンゼルス市場に進出した。「WeWorkは面倒をすべて取り除いてくれる。だから僕らは経営に集中できる」。

データドリブンな建設テックが生む 稼働率99%のコワーキング

「WeWorkは、大家と交渉し、契約し、建設資材やガラス板を買い、デスクを制作し、配管や空調、Wi-Fiを問題なく機能させなければならないんです」と、ベンチマークのダンレビーは言う。「手の汚れる、実行力の問われるビジネスです」。

孫が評価したWeWorkの実行力はどのように構築されているのだろうか。たとえば17年9月中に新設したのは10拠点。14年までなら1年かけて開設していた数だ。これに寄与したのは資本力だけではない。

面積当たりの収益性を高めるという意味でいえば、WeWorkは航空会社に似ている。デスクを1台追加すれば、10年で8万ドルの売り上げになる。ただし乗客がエコノミークラスでも居心地よく過ごせるよう、十分なアメニティと特典が必要だ。

しかし、WeWorkのオフィスの基礎となる不動産は、ボーイング777とは違い、必ずしも同じ形をしていない。とくに彼らは古い物件を好む。これまで元税関庁舎、蒸留所、倉庫、そして上海ではかつてのアヘン工場をオフィスに変えてきた。

建設フローの効率化のためにWeWorkが駆使するのが「BIM(ビルディング・インフォメーション・モデリング)」と呼ばれる技術だ。現場となるビルの内部をスキャンし、3Dモデル上で各フロアの設計ができる。目新しい技術ではないが、多くのプレイヤーが協業し硬直的だった建設業界は、建設テックのフロンティアだったともいえる。この技術は15年に買収した建築事務所「Case」が得意としていたものだ。

そして、フロアレイアウトの最適化を叶えるのが、既存のWeWorkオフィスから得られる膨大なメタデータ。ヒートマッピング技術を用いて追跡された人の動きと利用状況はWeWorkデータセンターに蓄積され、それらを基に共有エリア、デスク、会議室の面積や配置の最適なバランスが見出され、かつ更新されていく。

倍増するWeWorkの事業規模は価格優位性ももたらした。10年以来、ニューマンたちは4500トンの資材を組み、100万平方メートルのガラス壁をつり下げ、80万平方メートルのオーク床材を敷き、1万2000の電話会議ボックスを組み立ててきた。さらにガラス壁を固定する何千個ものビスほか、多くの資材を自前製造に切り替えた。今後は家具や照明なども内製化したいという。

「いわゆる大家さんは場所をお金に変えるだけだが、僕たちは違う。WeWorkはいわば、iPhoneをつくっているんです」と、最高成長責任者でWeWork専属マッド・サイエンティスト、デイブ・ファノは例える。

テクノロジーによる徹底した効率化とバルク買い、内製化により、会員企業が新しいデスクを1台追加導入するための料金は、この1年だけで45%も下がっている。

コミュニティの力が育んだ ふたりの創業者

WeWorkの名物に、巨大な規模の「サマーキャンプ」がある。17年は15カ国から2000人の従業員をイングランドの田園に飛行機で呼び寄せ、3日間にわたり、ダンスやアクティビティを楽しませ、会社のプレゼンを見せ、たっぷり酒をふるまった(3000人のWeWork会員も途中から参加した)。1200以上のキャンプ用テントやトレーラーハウスが草原に出現。フードトラックやビールトラック、数十のバーが設置され、参加者のTシャツの背中には、「We」のロゴマークが躍る。

これを「過熱気味のスタートアップによる壮大な金の無駄遣い」だと片付けるのは簡単だ。しかし、ニューマンは「このイベントこそが、WeWorkの本質」だと言う。

「文化が僕たちの財産。サマーキャンプは一緒に働く仲間は計り知れないほど大切だと彼らに伝えるひとつの方法なんです。そして、周りにはWeWorkのミッションを信じるチームがいるのだ、と」

デザインホテル経営のモーガンズ・ホテルの元CEOで、現在WeWorkの副会長を務めるマイケル・グロスは言う。「アダムとミゲルはふたりとも、コミュニティの力を誰より知っている。彼らはそれに助けられることで、生き抜いてきたからだ」。

ニューマンとマッケルビーは世界の端と端で育ったが、ふたりの子ども時代で共通しているのは、定住と縁がなく、コミューン色が強かったことだ。ニューマンはイスラエルで医師の両親のもとに生まれたが、両親は幼いころに離婚。ニューマンは人生の最初の22年間を13の地で暮らした。一時期は母親が医師をしていたキブツイスラエル特有の共同体)で過ごした。

重度の失読症だったニューマンは、小学3年生になるまで読み書きができなかったが、イスラエル海軍のエリート士官プログラムに入ることができた。軍務に服した後は、当時プロのモデルだった妹のアディ・ニューマンと暮らすため、ニューヨークに移り住んだ。

マッケルビーは、オレゴン州ユージーンにあった、お金より信念を重んじる活動家シングルマザーの共同体で育てられた。家がよく変わり、連邦政府の財政援助によって用意された食糧の箱が玄関の前に届く子ども時代だった。マッケルビーは年に一度、チェーンレストランのビュッフェを食べるのが楽しみでしかたがなかったと言う。

「争って自分の分を確保する必要がなく、好きなだけ食べられるのは、特別なことだったから」。身長約2mで運動神経抜群だったマッケルビーは、オレゴン大学で大学の花形スポーツとハードな建築学の専攻を両立させた。

ニューマンとマッケルビーは、ニューヨークで共通の友人を通じて出会い、育ちや競争心の強い性格をきっかけに意気投合。ニューマンは当時、ベビー服の会社「エッグ・ベビー」(ヒット商品はひざパッドを縫い込んだベビーパンツ「クローラーズ」)を立ち上げており、そのオフィスの家賃をまかなうため、一部を又貸ししていた。

建築家としてアメリカン・アパレルなどの顧客の店舗をせっせと設計していたマッケルビーに、ニューマンは、安い物件を賃貸し、スペースを分割してオフィスとして高く貸し出すというアイデアを聞かせた。

話は早かった。ニューマンは自社オフィスのオーナーを説得し、ブルックリンにある彼の物件の1フロアを借り、マッケルビーとふたりで地球に優しいがコンセプトのコワーキングスペース「グリーン・デスク」を始める。

これがヒットした。ニューマンとマッケルビーはすぐさまマンハッタンに進出しようとしたが、ブルックリンのビルの空き部屋を埋めることを優先しようとするオーナーと折り合わず、最終的には自分たちの持ち株を300万ドルでオーナーに売却。その売却益を、キブツとシングルマザーの共同体からの学びを生かした、マンハッタンのコワーキングスペース事業に投入した。不動産と文化の融合だ。

7年後の現在、ふたりの持ち株は合わせて43億ドル相当になっている。そして、史上最大の働く人々のコミュニティ──WeWorkが生まれようとしている。

    • {「WeOS」が世界の働き方を革命する}--

孫が最終的に40億ドルの出資を決めた「12分の社内見学」のなかで、ニューマンが唯一披露できたのはWeWorkの「ラボ」だった。彼らは世界各地のWeWorkオフィスを、「働く」にまつわる膨大なメタデータを吸い上げるデバイスにしようとしている。利用者ごとにカスタマイズされたワークスペースから得られる情報は、常にWeWorkの管制塔に送られ続け、凄まじい量のデータが蓄積されていく。

現在WeWorkの取締役でもあるソフトバンクのロン・フィッシャー副会長曰く、「この技術的な飛躍こそが、投資に至った最大の理由」だったという。数百のスペース、数百万の会員に汎用させることができるからだ。「膨大な数の財務モデリングを行いました。どのように成長できるか、どんな利益を見込めるか、どれくらいキャッシュフローを生み出せるか、と」。

ニューマンは、テクノロジーによる最適化そのものが「WeOS」のような製品になると考えている。そうなれば、コワーキングに関心のない企業にとっても、WeWorkはなくてはならない存在となる。

「WeOS」をリースし、WeWorkのマネジャーを派遣してコミュニティを育み、オフィススペースのスムーズな運営を提供する。企業側にとっては、地味なオフィスにWeWorkの革新的な風を注入できる。WeWork側にとってもこのプロダクトは、所有資産の少ない同社の事業モデルを、さらに一歩身軽なものにしてくれる。

You Are Not Crazy Enough

17年3月、WeWorkとソフトバンクの契約締結が東京で行われた。その場で、ニューマンとマッケルビーに、孫はこう問いかけたという。「頭のいい奴とクレイジーな奴。闘いに勝つのはどちらだと思う?」。クレイジーな奴だ、と答えたニューマンに孫は言った。

「その通り。でも、君とミゲルは、Not Crazy Enoughだ」「WeWorkは大規模な営業チームをもたず、多額のマーケティング費用もかけることなく有機的に成長してきた。しかし、それを誇りに思うべきではない。そうアダムに言いました」と、孫は言う。

「当初の計画の10倍規模の会社に成長させるように、と。そう考えれば、あの評価額は安いですね」。いったいどの程度安いのだろうか。

「数千億ドルになってもおかしくありません」

アダム・ニューマン◎WeWork共同創業者兼CEO。イスラエル出身で、イスラエル海軍士官を経て01年にニューヨークに移り、10年にマッケルビーとともにWeWorkを創業。

ミゲル・マッケルビー◎WeWork共同創業者、チーフ・クリエイティブ・オフィサー。オレゴン大で建築を専攻。日本に渡り、英会話スタートアップを立ち上げて売却、NYへ。