藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

すべてを伝えよう。

漢字学者、阿辻さんのコラムより。
まず「これ」があることを知ってもらう。

無用の情けや過剰な親切心を発揮し、そのことで逆に自分が大きな被害を受けることを、「宋の襄公の思いやり」という意味で「宋襄の仁」とよぶ。

あくまで「フェア」を判断したために、自らを滅ぼした人がいる、という話。
そして

学校の道徳でも、現実の社会にはめったにない「美談」や「美徳」を教えるより、「宋襄の仁」の故事を教える方がよほど人生の役に立つと私は思うのだが、いかがなものであろうか。

とはなんとも皮肉な。

その時々の経済や政治や軍略の「勝ち負け」は。
ずるく、計略の勝った方に軍配があがるのだろうけれど。

時代が経てば「宋襄」を讃えたいと思うだろう。
あえて「宋襄の仁」を教え、目先の勝敗にこだわるのか、「その先」を大事にするのかを若者には教えたい。

若者は案外愚かではないと思う。

学校で教えたい「宋襄の仁」 阿辻哲次
父親が大切にしていたサクラの木を折ってしまったワシントンが正直に詫(わ)びたところ、その誠実さを父親は評価し、木を折ったことを不問に付したという。世間によく知られた美談だが、しかし現実は普通そんなに甘くない。「お父さんごめんなさい」と謝ったところで、そこらへんにいる父親では、子供は思いきり叱られるのがオチである。

小学校のころ「ずるいことをしてはいけない」とか「思いやりの心を忘れずに」とか、いわれなくてもわかっていることをたくさん教わった。クラブ活動でも、顧問の先生は「常にフェアーな精神を心がけよ」と声高に唱えていた。さらに「勝敗よりも交流が大切だ」ともいわれた。しかし帰宅して家で見るプロ野球のナイター中継では、審判が気づかなければ少々の反則などたいしたことではないという雰囲気が蔓延(まんえん)しているようだった。

紀元前六三八年のこと、覇者をめざし、野望に燃えた宋の襄公(じょうこう)という殿様が、鄭という国に攻めこんだ。それほど大きな国ではない鄭は、長江流域に広大な領土を占めていた楚に救援をもとめ、要請をうけた楚は即座に大軍を援軍として派遣した。

宋軍と楚軍は、ある河をはさんで対峙した。圧倒的な兵力を誇る楚が、宋のいる側へと河を渡りはじめた。それを見た宋の参謀が、全軍が河を渡りきる前がチャンスですと襄公に進言したが、襄公はそれは卑怯(ひきょう)だとして提案を却下した。やがて楚軍が渡河を終え、陣形を整えはじめると、参謀は今こそチャンスだと再び攻撃を促すが、しかし襄公はフェアーではないとして攻撃にかからない。そうこうするうち陣形を整えた楚が一気に攻め寄せると、宋はあっけなく敗北し、襄公もその時の傷がもとで世を去った。

無用の情けや過剰な親切心を発揮し、そのことで逆に自分が大きな被害を受けることを、「宋の襄公の思いやり」という意味で「宋襄の仁」とよぶ。学校の道徳でも、現実の社会にはめったにない「美談」や「美徳」を教えるより、「宋襄の仁」の故事を教える方がよほど人生の役に立つと私は思うのだが、いかがなものであろうか。

(漢字学者)