藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

文明の脆さ

 *[次の世代に]便利を考える

自粛のおかげで「あらゆる世間」がお金の話で埋め尽くされている。

フリーランスから正社員、経営者や業界組合の人もみんな等しく。

ソフトバンクの赤字が9000億円だとか、日経には今回で二億円の資産を減らした投資家の話が報道されていた。

改めて「お金の役割とは何か」を考えた。

「経済を回す」とはよく言うものの、自分たちは産業を第何次、と分類しながらどんどん分業化してきた歴史がある。これって食糧、物資、医療、製造などありとあらゆる「世界レベルのサプライチチェーン」の問題と捉えることができるだろう。

製品の場合なら「原料調達から小売まで」を効率化するのと同様に、自分たちの生活は"無数のサプライチェーン"と絡まって成り立っている。

自分は農業や小売業に従事していないけれど、ご飯を食べているし小売店で買い物もできる。

あらゆる産業のサプライチェーンが張り巡らされた「ものすごく便利な世界」、しかもネットで結ばれた時代を生きていることに気づく。

そして「無数の鎖のどこか」がどこかで切れると、途端に「生活全体」が脅かされる。

それがマスクだったり医療サービスだったりしてもだ。

 

以前の震災の時には今ほど「連鎖の感覚」は感じなかったけれど、今回世界的に、日本も全国的に"いろんなチェーンが切れている"ことで、自分たちは「とても脆い社会のフォーメーション」を選択しているのだと思い知らされた。

そして、こうした世界レベルのサプライチェーンを「回す」ために必要なものが"お金"なのだ。

今やどのサプライチェーンも「物々交換」では成立しない。

「何でもお金で決済する仕組み」はお金が枯渇すれば機能できなくなってしまうから、誰もかれもが「お金お金」と騒ぎ出している。

現金を稼ぎ、いろんなものを買って家賃などを払い、食事もするという「ここ数百年では当たり前のシステム」は少し便利すぎて危険なレベルに来ているのではないだろうか。

 

今の都会では難しいと思うが「自給自足」や「物々交換経済」のような仕組みをある程度残した仕組みを設計しておく必要があると感じている。