藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

経験に学ぶ(2)

*[次の世代に]リーダーは誤るものとして。

コロナの騒動で政治に文句を言う人は多いけれど(いま総選挙前なのだが、結果はどうなっているのだろうか)、実は「これほど誰かのリーダーシップを待っている自分」を初めて意識した人も多いのではないだろうか。

緊急事態宣言とかワクチンがどうとか、交付金がどうとか、自分たちは右往左往したけれど、つまりは「何か指示されないと判断がつかない自分」を自覚した。

つまりこうした安全保障的なことについては、自分たちは完全に「指示待ち人間」だったのだ。

三密、についても一時は自分たちも騒いでいたのに、今頃「消毒よりは換気が重要」などと言われてみると、なんだか神経質になっていた自分が恥ずかしい思いがする。

 

つまり今の世界中の国は、(独裁国家はともかく)「有事の判断」については、とても経験が浅く、国としての「危機管理のリーダーシップ」は期待できないということが今回わかった。

先の「テロからのアフガン戦争」もそうだが、「リーダーというのは致命的な判断ミスをすることがある」ということを、自分たちは事前に呑み込んでおかなければならないのだと思う。

政治家の「能力があるなし」ではなく、それほど「大きな判断」というのは"情勢を読みにくく、誤りやすいものだ"と思っておいた方が良さそうだ。

 

政権の無能を煽るのはマスコミの常套手段だけれど、政治家が何かを変えるのではなく、やはり「政策と選挙」を自分たちが選んでいくしかなさそうだ。

 

「リーダーのせいにする」ということが、何の解決にもならないことを前提に考えよう。