藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

経験に学ぶ(1)

*[次の世代に]第一は何か。

戦争もなく、テロも内乱もなく医療面でもまあ安心。

そんな日常が脅かされるような事態を「いま80歳以下」の自分たちは知らなかった。

この度のコロナのように「未知の脅威」に晒されると、自分たちはどういう心理状態になるのか、ということを教訓的に考えておく必要があると思う。

教訓というよりは、こういった体験を「抽象モデル化しておく」ということだろうか。

過去の震災や、経済恐慌とか、米テロとかともまた違う"貴重な揺さぶり"を自分たちは体験したということだろう。

 

それまでは「当たり前だったルール」が変わり、たとえば「ワクチンを打つかどうか」とか「出勤するかどうか」といったことも「つまりは自分で判断を」ということになった。

これまでは考えたこともない問いだったと思う。

 

そして自分たちは「自分と周囲がまず安全でいるにはどうするべきか」という身勝手なことを否応なしに考えさせられることにもなった。

平時には「まず弱者の救済を」などと言っていた自分たちは「一定の安全圏にいる前提」での偽善的な考えだったのだろうか。

それとも自らに危険が迫れば、仕方のないことだったのか。

 

まるで昭和の一桁世代が語る「戦時体験」のようなことについて、図らずも今回リアルに考える機会を得た。

いわゆる"有事"の時に自分たちは何を優先するのか。

都会で生活していると、生活のインフラのこととか「それ以外の選択肢」について考える力が明らかにニブッているらしい。

 

ある程度「究極には自分で選択すること」を練習しておくべき、なのだと思う。