藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

脱・柵

*[次の世代に]未来からの言葉と過去への一節。

鴻上尚史の「10年後の自分から今の自分への助言」はなかなか聞こえてこないけれど、

「10年前の自分にかける言葉」ならいくらも思いつく。

そしてその言葉は、実は「20年前の自分」でも「30年前の自分」にも共通している。

それは「何をするにも、限りなく自由に選んでいいよ」という、ただその一節だ。

なので多分、67歳の自分は、今の自分に「まだ限りなく自由でいいぞ」というのではないだろうか。(いつまで続くねん)

 

自分たちは物心ついた時から、「何かのしがらみ」があったり、家族や周囲の同調圧力なんかにに晒され続けてきたと思う。

けれど「それから10年」が経って見てみれば、それらは「単なるその時の空気」でしかなかったことに気づく。

「時代の常識」は残酷で、その時代のものでしかない。

 

そして「そんな空気」はいつの時代にも、どんな立場の人たちにもあるものなのだろう。

「責任を果たす」というのはかっこいいが、「しがらみゾンビに引き摺られる」というのはやめた方がいい。

なぜなら相手はゾンビだから。

「"何か息苦しい空気"は実はそれほど重要ではないよ」という言葉を今の自分にかけてあげてはどうだろうか。