藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

いざ、をいかに。(1)

*[ウェブ進化論]緊急事態のつもりに。

よく、大病をするとそれまでの「当たり前の日常の有難さ」に気づき、その後の生き方がウソのように変わったという話を聞く。

ほとんど、そのまま正解のような話である。

ならば「そのつもりになって普段から行動すればいい」というただそれだけのシンプルすぎる話なのに、なっかなっかそういう風にはいかないものだ。(嘆)

 

つまり「若い=健康=特に差し迫っていないことを深刻に考えない」という等式が成り立つだろう。

自分でもまったくその通りだが、どうしてこうも「分かっているのにやらないこと」というのは多いのだろうか。

「裏・7つの習慣」の一つ目に加えたいくらいだ。

 

さらに縮めると「健康=それほど深刻に考えないもの」といえる。

つまり「失わないと気付かない」ということだ。

これは他のことにでも当てはまる。

天災とかウィルスとか仕事とか家族とか。

「平穏とか無事」という安全のもとでは自分たちはまるで寝ているように安心してしまい、いざ危機が迫ると本気で大慌てすることになる。

そして厄介なことに、こういうことが「人生のいろんな場面で繰り返される」ことになってしまう。

 

いかにして、そうした「ぬるま湯状態」を「そうでない風」にシミュレーションできるかが重要な事ではないだろうか。

(つづく)