藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

真贋はいかに

*[ウェブ進化論]見極めの練習。

チャンスはどこにでも存在する、という。

「けれどそれをつかむ人と見過ごす人がいる」というのもずっと言われてきた話だ。

チャンスというのは、実は一見"チャンスの姿"ではなく、しばしば「リスク」の姿をしていることもある、ということだ。

 

つまり、そういう「何かの機会」というのは「受け取る人によってチャンスにもリスクにもゴミにもなる」ということが核心なのだろう。

パッと見にはリスクとか厄介ごとに見えることは、よく聞いて解きほぐしてみると「チャンスの原石」だったりもするのだ。

危ない仕事がお金になるのとどこか似ている。

けれど、周囲の機会をなんでも「これはチャンスの可能性がある」と食いついているとかなり痛い目に遭うこともある。

 

日常に起こる多くの情報を「チャンスになるか、それ以外か」という目で「篩に掛ける」という技術が必要なのだと思う。

よくあるチープな投資話に簡単に引っかかってしまうことは世の中には頻繁にあるが、そうした「篩の目」が備わっていればずい分と精度は上がってくるだろう。

 

つまり世の中には実にそうした「無責任な持ちかけ話」がとても多い。

そうした玉石混交の世界の中で「嘘か真か」を見分ける練習をしている、と思えばいろんなことが面白く感じられるだろう。

 

そんな楽しみを日常に感じてはどうだろうか。