最近「選択の岐路に立ったら苦しい方を選ぶ」というのがなぜいいのか? とよく考えてい他のだが、その説明を発見した。
USBフラッシュメモリ開発者の濱口秀司さん(エンジャパン・ぼくらの履歴書)より。
いつも自分でも答えが見えない仕事を、あえて選んでいます。だから解決策を自分で考えるしかないし、失敗も許されない。どん底といえばどん底ですよね。
でも、不思議といつでも楽しいんですよ。
楽しいどん底。
その理由はなんだろうか。
けれどそこで(数々のプロジェクトを経験した結果)学んだのは、「ラクな意思決定をするのはあかん」ということ。
その経験から僕は、ふたつ選択肢があったとしたら常に「嫌やなあ」「しんどそうやなあ」と思うほうを選ぶようになりました。
ただ悪戯に苦しければいい、ということではなく
まず「答えが見えないようなものにチャレンジすること」が先にある。
そしてその「不安なチャレンジの中でこそ"迷ったら苦しい方へ行け"」ということのようだ。
これでかなりスッキリした。(爽快)
「ただ苦しい思いをせよ」というマゾ的な号令ではなく、重要なのは「答えのある問いばかりを探しに行くなよ」ということだ。
これはこれからの時代を生きるのには合っている。
正解のある道と正解の見えない藪の中。
それを前にして、まず藪の中へと踏み入る覚悟を持ちましょう。