藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

自分の俯瞰について。


知らずに多用している。

「それは、よく分からないなぁ」。


多くの場合、「自分をエクスキューズ」するのに使う気がする。


もう一つ、有名なのは「聞いてない。」だ。

この伝家の宝刀二つだけで大概のことから、逃れることが可能である。

一度「この味」を覚えてしまうと、おいそれとその魔力からは逃げられぬ。


自分は、聞いてない。


と言ったときには「なぜ聞かされなかったのか」を考えるといい。

そして、今聞かされたなら「今」が聞き始め、と心得よ。


その時から始めればいいのだ。
「自分は知らない」
「分からない」


を連発して周囲に仕事を撒き散らしていないか。
ついついそんな事をしていないか、ふと気になった。

「聞いていないぞ」と宙に浮いていることがあれば。
見つけたヤツがやればいい。

みんながそうすれば、「宙に浮いた」問題はなくなるだろう。

また「オレがやろう」という態度は、必殺の動機を持つ「自発仕事」である。


こなす速度も「やらされ」に比べればずっと早いぞ。


できることなら、そんな「プラスの連鎖」を周りに起こしたいものだ。

今ある日常の「やらされ」など、実は自分の「技」次第でどうにも立ち向かえる。


人生など「そんなもん」かもしれぬ。


「かかってこいや!」そんな掛け声とともに。
自分たちはずいぶん「楽しく過ごせる」のかも知れない。


どれほど一つ一つが愚かでも、仲間同士の気配りと、自分の気持ちの持ちようで、いくらでも絵が描けるのが人生か。


そんな意味では、自分の人生を自分で生きること。
つまり「他人任せにしないこと」は基本的な原則だろう。


仕事があるから、と納得できぬ会社に勤めても、自分の精進は成しえない。


責任転嫁、は何も生まぬ。
全ては自分の判断の上に。


「オレの責任」という意識がチームワークの原点なのである。