藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

(その十一)合理的に生活する、ということ。

弁護士の仕事術・論理術 (成美文庫)

弁護士の仕事術・論理術 (成美文庫)

三十代はじめのロンドンでの生活は、私のライフ・スタイルに決定的な影響を与えた。
純化すれば、「金銭よりも、自分に合った生活を送る」という大切さを学んだ。
当時のイギリス人弁護士のライフ・スタイルは、アメリカ流のそれとは、まったく違っていた。


夕方七時になるとパートナーの弁護士は帰宅するのが普通であった。
夜はロンドン中心分のコベント・ガーデンでミュージカルを楽しんだり、友人を自宅に招いたり、聖歌隊の合唱に加わるという生活を楽しんでいた。
週末にはガーデニングをしたり、壁紙の張り替えをしたりといったことに喜びを見出す先輩や同僚が多かった。


つまり、人生において金や名誉や地位もたしかに重要ではあるが、何ごともほどほどがよいのである。
金や名誉や地位を過剰に求めるのは人間として未熟である。
そんな雰囲気があった。(p233)

こうした独特の「先見性」というか人生を考える力、のようなもので、その後著者は「朝四時からの仕事」や「週に一度の在宅勤務」など時間管理に工夫を重ね、「仕事まみれ」に終わらぬ人生を志向されている。


人生の「決断の精度」を高める


最後に著者はこのように題し、ダーウィンが「結婚すべきか、研究に専心すべきか」と悩み、比較した例をひいて、「合理的に」生きることの重要性を説く。

この合理的、の対極は「感情的」である。

著者は回想する。

振り返ると、二十代に会社を辞めたときは、感情主導型であったが、三十代に事務所から独立したときは、合理的にものを考えるきざしが見え始めたのである。
そして五十代になってからは、合理的思考を貫くことの必要をはじめて明確に意識するようになった。
それはちょうど自己を客観視する軌跡とも重なっている。(p251)

人の体は二十年ほどで成熟するが、その精神は驚くほど熟成が進むようだ。
そう言われれば、誰しも「子供のころに想像した、今の年齢の自分」を思い返して驚くものだ。
「このトシで、まだこんなに幼いのか」と。


仕事もプライベートも。
何が合理的か。


今日とか明日、が合理的か。
今月は合理的か。
今年は合理的だったか。


この十年は合理的か。
この先十年ではどうか。


まだまだ、まだまだ考える余地はありそうだ。