藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

電子書籍。捲土重来。

アマゾン、再び。


米Amazonが大画面の「Kindle DX」発表、9.7型ディスプレイ搭載



ふたたび、電子書籍、「Kindle DX」が発売された。
もういく度目の挑戦か。


しかしながら、amazonの事業化、黒字化の軌跡と同じく、この「しつこさ」が実を結ぶのかも知れぬ。
思えば、アマゾン自身が「世界最大の書店」「世界最大の倉庫業者」「世界最大の取り次ぎ店」と揶揄されて、まだ十年も経たぬ。


粘りきったamazonはまぎれもなく世界最大の書店であり、データベースであり、また「中身検索」で知の開拓者でもある。


「ネット事業者」の中でも早々に採算と将来性に見切りをつけた企業と、「着眼」にすぐれ、さらに尋常でない熱意で継続を志向した「エンシュージアズム」の差が顕著か。


幾度挑戦しようとも、「アナログ」や「ペーパー」の文化を越えられぬ、と思しきデジタル陣営も、次第に自分たち人間の「周辺部分」から浸透しはじめているのだろう。


そんな中、たとえば新聞が一気に携帯端末にとって代わられた十年、などは後世から見れば象徴的な節目なのだろう。


しかも「そんな変」はヒタヒタと迫っている。
i-phoneでも新聞紙面を飛ばし読みできるし、ワンセグ放送でザッピングもできる。



いつしか「紙を超える」存在に遭って初めて自分たちも気づくのだろうが、技術革新、はその技術を追いかけるパラノイアの情熱がカベを打ち抜く、ということなのだろう。

だから技術への畏怖を忘れてはならない、と思うし、またその技術も「リアル世界の課題」と正面から立ち向かわずしては、その情熱は続かないのだ、と直感する。



つまりは「互いに対局」にいるという認識が重要なのかもしれない。
つくづく。

アナログありき。
デジタルあるき。