藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

近代の決算


その意味では出るべくして出現した存在、オバマ大統領。


GMを「オバマ・モータース」と言われ、政府資金の投入を「オバマ投資銀行」と揶揄されようともその出自と動きを評価する声は高い。

なにより、一般市民の目線での分かりやすさもある。
それにムスリム、ビンラディーンが批判のメッセージを出している。


ブッシュ政権に見舞われた9.11テロの「その後」を託された存在でもあるのだろう。
つくづく「リーダーシップ」という言葉を想起させるが、真のリーダーというものの「こなさねばならぬ使命」と「自ら発動する正義感」が同時に見て取れるように思う。


そしてその対立が「宗教上」のカソリックvsイスラムなのか、あるいは貧困対富裕、という「格差」が原因なのか、それとも何か「人類」の持つ「競合対立および種の保存」の原理によるものなのか、ともかく常に「対立軸」を生み、それに両者が分かれて自己主張し合う、という構図はここ千年続いている。


素人目には、今回のオバマ氏からは、既存の「国粋主義」から新しい価値観を打ちたてるリーダーの時代だ、と思いたい感覚があるが、果たしてどれほどのことになるか。
それにしても、すでに「ある胎動」は感じるだけに、オバマ政権は力とか、意志とか、あるいは波を感じる。


それだけ、若く、人種の差なく、透明で、明るい、そんなリーダーの出現は大きなうねりの中で重要な存在なのだろう。
民族や宗教や、経済的な対立すべてが降りかかってくる米大統領の重責だが、それはオバマ氏のやるべく、また先進国にももっとも期待されている作業ではないかと思う。


まあ希望の星、とはこんなもので今世紀最大のヒーローではないか。
ともかく注目の人物だが。
光の裏には陰がある。


光があるゆえの宿命とも言える「自由と不自由」か。
「正」の力が最終的には推進力になり、挫折と絶望が主役にはならないのだ、と思う。
それが人間の「性善」だと思うのだ。


ビンラーディン容疑者 オバマ大統領を非難 対米テロ予告  


カタールの衛星テレビ局アルジャジーラは3日、国際テロ組織アルカーイダの指導者、ウサマ・ビンラーディン容疑者が中東歴訪を開始したオバマ米大統領を非難した音声声明を放送した。

 同容疑者は、オバマ政権がパキスタンなどでアルカーイダ掃討の動きを強めていることに対し、「イスラム教徒に敵対する前政権の政策を受け継ぎ、アメリカへの憎悪の新たな種をまいた」としたうえで、「米国民は、ホワイトハウスの指導者たちがまいた種の報いを今後、何年、何十年と受け続けるだろう」と述べ、新たな対米テロの実行を示唆した。

 ビンラーディン容疑者が声明などで、オバマ政権に言及したのは初めてとみられる。

 一方、アルカーイダのナンバー2、アイマン・ザワヒリ容疑者も2日、「エジプトの自由、公正で名誉ある人々とムジャビディーン(イスラム聖戦士)たちよ、この犯罪者の前で一致団結せよ」として、オバマ大統領が4日にエジプトの首都カイロで予定しているイスラム社会に向けた政策演説を拒否するよう呼びかける音声声明を出した。


同容疑者は「(イスラム教徒は)血塗られたメッセージを受け取っている。それを美辞麗句や広報活動で覆い隠すことはできない」などと述べた。

 オバマ大統領は3日、ビンラーディン容疑者の声明が放送される直前に、最初の訪問地、サウジアラビア入りしたところだった。