藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

生活リズムのこと。

十代の自分についたあだ名は寝たきり浪人。(大学受験で浪人していたから。本当の素浪人になっていたわけではない)


まあ自分でもどうしてこんなに寝られるんだろう、と心配になるくらいに寝ていた。
宵っ張りの朝寝坊、ということもあったのだろうが、「惰眠を貪る」というのは自分のことだワイ、とよく感じ入っていたものである。


社会人になる。
二十代は平日の仕事は普通に忙しく、休日の日曜は斃れるように午後まで寝ていた。
これは極度の疲労(だと思っていた)


あれから三十年ほど経つ。
ずい分生活のスタイルも変わってきた。


昼まで寝る、ということが少なくなる。
そして「早寝は身体のために、早起きは心のために」という言葉通り、早寝はともかく「極端な夜更かし」はなくなり、またブログなど書くために早起きするようになる。

早起きの方法


ところが、自分の根はあまり朝方でないらしく、どうも起床が上手くいかない。
いろんな先人の意見を聞き、取り入れたのが「朝日を浴びる」ということだった。

窓に向き、カーテンを開け放して眠る。
閉じた瞼を通してでも、陽の光が入ってくると脳が覚醒する、というのは本当のようだ。
早ければ四時台、遅くとも五時過ぎには目が醒める。


だが、それと「疲れが取れている」ということは別物だな、とも最近気づく。


そこで実験。


体内時計


この土日に、あまり飲酒せずに就寝。
ただし、「カーテンは閉め切る」。
ついでに枕灯とか、室内の仄かな明かりを発するものも全部スイッチオフ。
夜はi-Podで音楽をかけながら寝むのだが、これもオフ。
ほぼ「闇の中」で、就寝。


さて。
翌朝、緩く覚醒するも、再びそのまま休む。
昼近くにもう一度目覚め、再び意識不明。


午後三時。
ハッと目が醒める。
が、辺りは暗い。
遮光カーテンがばっちり効いていて、まだ夜のようである。


そこで起床。


しばらく経って体調を確認。

何かずっと感じていた疲れが取れているようだ。


そこで気づいた。

早起きは早起きで、それなりの疲れを溜めてしまう。

なぜなら、身体の声に基づいて、自由に「夜寝る時間」をコントロールする、というのは仕事をしていればなかなか難しい。


朝の時間だけを固定すると、どこかにそのしわ寄せはいくのだ、ということだろう。


とまあたまの遅寝に、自分の思う理屈をつけてみた次第。
しかし目が普段よりよく見えるし、頭はスッキリしているし、たまには「惰眠」もいいのではないか、と元寝たきり浪人の感想である。