藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

過渡期の先に。


ウィキリークスが連日話題である。
内容からして、情報が盗まれ、漏洩したというよりは、明らかに「内部告発」的な内容が多くなってきた。


自分が組織の中にいたり、公僕として生活している中で「不公平感」とか「疑問」の湧いたことが、どんどん透明になってゆく。
不正を糺す、ということも大事なテーマだと思うが、何か「隠れた部分がなくなってゆく」ような開放感を感じるのは自分だけだろうか。

ネットの一番の意味。


大きな意味で、人や組織同士のコミュニケーションが「ほぼリアルタイムではなかった時期」にはその「時間差」を利用して、いわゆる情報格差、と言われる「経営陣だけが先行して知っている事件」とか「○○さんの耳にだけ届いている情報」といったもので、ことの結果がでることは多かったと思う。
「その時代」には、恐らく情報の量と、届くスピードが自らの生死を左右することも往往にしてあったと思う。


インターネット社会は、その「時間差」を極限まで縮めている。
もう郵便を待つこともないし、電話が届かないこともない。
情報量の多い内容は電子メールもあるし、excelファイルも送り放題である。
そして「伝達したい相手」には携帯電話で、ほぼノータイムで繋がることができる。
ここ数年でそうした「相互会話のインフラ整備」は極限まで進んだ。
それが、今や「一対一」から「組織の矛盾」へとそのオープン化が進んでいるのだと思う。


もう「話をしたい」と思った相手に、明日の朝まで我慢している必要はない。
地球の裏側の相手にも、夜にメールを送っておけば、朝には返事が届いている。
もう情報伝達に死角はなくなった。
残るは「社会の矛盾」である。

距離の次に縮まるもの。


構造的におかしい、とか不正、不公平があるのではないか、という「暗部」にどんどんと陽が当たる。
インターネットはこの十年で「距離」を縮めたが、次にはその速度を利用して、「偏り」をなくすのではないだろうか。
あらゆる「えこひいき」とか「不公平」とか「不正」とか「賄賂」とか。
それらが起こったら、たちどころに「表出」してしまうような世界。
それがネット社会の「本当の特性」になるのではないかと思う。

ネットのもたらす「時短」という第一の恩恵から、次のステージへ。
そろそろそんなweb進化が起こっているのではないだろうかか。

ネットの威力が出てくるのは、実はこれからかもしれない。