藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

駐車違反考。

梅雨らしい霧雨の週末。
若いころは雨など「靴が濡れるだけでただ鬱陶しい」存在だったのが、もう今年も梅雨入りで、年が明け、景気が戻りかけたころに大震災があり、それからまた三か月も過ぎたのだなぁ、ということや、本当に四十代になってからは「日々や一月」単位では時間を感じられず、辛うじて「冬が過ぎ、寒が緩んで春になり…」という具合に"季節ごと"に時間が過ぎる気配を感じ取るようになってきた。
思えば、ただ春から夏への陽気の移り変わりの中で、「今日はまるで初夏だな」とか「まったく真冬並みの寒の戻りで…」などという会話はなんとも「年長者の季節感まんまん」だなぁと苦笑いしてしまう。
それはともかく。


驚いたことに、ニューヨークやワシントンでは駐車違反が"罰金レベル"のため、経済的合理性の観点から「敢えて罰金を払う」そうである。
日本では、駐車違反の摘発が民間化されて以来、街中は特殊法人のベストを身に付けた老人がペアで歩き回り、トイレに入った隙のタクシーや、弁当を買いに走るコンビニの客の運転する車を、ものの十数秒で「デジカメに仕留めて」しまう、駐禁がそこここにいる。
駐車違反が免許の点数制の対象であり、点数がなくなれば失業の危機に瀕する運送関係の人の愚痴を聞くにつけ同情を禁じ得ない。

ものの両面。


東京のタクシー運転手さんに聞くと「確かに渋滞は減った」とのこと。
やはり「短時間なら構わない」というモラルの低下はなくなったのか。


一方、取り締まりを厳しくするだけで、駐車スペースがないのは「圧迫」でしかない、という意見もある。
また行政側は、今の都市計画上、駐車の余地をつくるのは土台ムリ、ともいう。
そして、そもそもの恒常的な渋滞と事故につながるから、駐車違反許すまじ、という動機も健在である。


とすると「厳しすぎず、しかし"その先"へと施策をつなぐ」という意味で、ある程度駐車違反の「罰金のみ化」を採り入れて、それを財源として貯めながら、その予算で「次の道路行政を考える」というアメリカ式のやり方も悪くないのではないかと思う。
どの道○か×か、ではっきり白黒の付く問題ではない。

けれどいつかは、少額の駐車料金で、渋滞の原因となることなく車を停めて用を足せる社会、の到来を期待させるのが行政の役割ではないか。

まず、そうして「駐車違反問題」が経済力をつけること、を考えてみてもよいのではないだろうか。
良い方向にむかっているのだ、ということが分かれば、我われは意外に辛抱強いのである。

「駐禁免罪符」は是か非か?
 ニューヨークやワシントンDCなど、米国の大都市では、駐車違反の切符を切られた配達トラックをよく見かける。配達先のビルやその前の路上に駐車できる場所がない場合、空いている場所を探したり、そこから配達先まで徒歩で往復したりするのはあまりにも非効率で、反則金を払った方が合理的だからだ。「ニューヨークでは、毎日15枚くらい違反切符を切られていた」と語る元配達員もいる。運転手個人にはおとがめがなく、会社側も毎年の予算に反則金の支払いを織り込み済みである。


msnbc.comによると、2005年度にニューヨーク市で配達業者や通信業者などが支払った反則金は総額1億ドル超(UPS社だけで約1900万ドル、FedEx社やVerizon社もそれぞれ800万ドル前後)で、同市の歳入の3%を占める。反則金収入がここまで膨らむと、行政側も本音では歓迎しているのではと邪推しそうになるが、実際には年間1000万枚にものぼる違反切符の処理や不服申し立てへの対応費用がかさむため、違反者が不服申し立ての権利を放棄すれば反則金を減免するという制度が導入されている。


一方、同様の制度を設けていたワシントンDCでは、減免措置を撤廃して歳入を増やす方針に切り替えることになった。歳入は増えても対応費用の増加で相殺されてしまう可能性があり、反則金の負担増で宅配便等の料金が値上がりする恐れもあるため、方針転換の適否は判断が難しいが、そもそも駐車禁止は交通安全や渋滞防止、公共交通や弱者の優遇、環境保護、消防・防災などのために定められているものだ。「反則金を払えば駐めて良い」という発想につながりかねない制度を廃止するワシントンDCの方針転換は、正論ではある。

 市民が集うネット上の掲示板では、「環境には悪いが、運転手と配達員の2人1組として配達車は駐車せずに走りながら配達員が戻るのを待つようにしてはどうか?」「いや、路駐しやすい早朝夜間に配達できるようにすべきだ」といった興味深い意見が書き込まれている。これだけ巨額な反則金をつぎこめば、たいていの案は実現できそうに思える。ITによる解決策を考えてみたい。

asahi.comより>