藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

おめかしの引力。


大好きな川上未映子さんのコラム「おめかしの引力」より。
作家の書くコラムがこんなに面白いのか、と毎回感心しきり。
題名からして目が離せない。

"着倒れを夢みて"

である。何かな、と思って本文を見たら最後、最後まで目が離せない。
ブログなどでもとても文章表現が上手く、面白い人はたまにいるが、プロは違うなあと思わせられる。

(前略)小説が佳境を迎えている最近はいつまで経っても文字文字文字で、5分おきに叫んでしまいそうになる。

5分おきて。
小説が出来上がる時はそんなに煮詰まるものなのだ。
やはりブログ程度とは"熱度"が違う。

このままだと確実にわたしの中のささやかな乙女部が枯死してしまう。「これ終わったら是が非でも着倒れたるんや」という希望をかろうじて胸に抱いて、今日もぼさぼさのまま生きている。

「ぼさぼさ」で生きている川上さんが見える。
自分には見える。
「着倒れ」は女性の、いや"女子部"の華なのだろう。

この仕事が終わったら今のこのしんどさをチャラにするためにご褒美というか新たな破滅というか方向はいまいちわからないけど、とにかく!大きな買い物をどかんと炸裂(さくれつ)させてやるのや、見ておけよ!

大きな買い物、も女性の華なのだ。
なるほど。

30半ばでポリ100%は鬼門だって骨身にしみてるはずなのに、なぜ今回もまたこんなことに……若い子の服はもう似合わないんだよ。似合うとかじゃなくて耐えられないんだよ。

「似合うとかじゃなくて耐えられない」というこの「耐える」という感覚は若い人にはなかなか分からないのではあるまいか。
私には分かる。

その「つるつるしたワンピースとかロンパース?」を部屋着にしたまま作品に打ち込む川上さんはなんともチャーミングである。
しかし知らなかった。
綺麗な川上さんは鰹節だったのだ。

着倒れを夢みて
「わたし、この仕事が終わったら……次の仕事、あるんだ」っていうのはわたしと友人との間で交わされる挨拶(あいさつ)っていうか悲しい冗談なんだけど、小説が佳境を迎えている最近はいつまで経っても文字文字文字で、5分おきに叫んでしまいそうになる。

家から出られず、ずっと同じ服、っていうか同じ肌着で過ごしてるわけで(節電で暑いし)、このままだと確実にわたしの中のささやかな乙女部が枯死してしまう。「これ終わったら是が非でも着倒れたるんや」という希望をかろうじて胸に抱いて、今日もぼさぼさのまま生きている。

でもさ、そうは言ってもネットがあるんだよね!うふふ。まさに世界の窓ですよ。クリックひとつでフェンディとかシャネルのコレクションとか見れちゃうし、何という滋養というか潤いだろう。この仕事が終わったら今のこのしんどさをチャラにするためにご褒美というか新たな破滅というか方向はいまいちわからないけど、とにかく!大きな買い物をどかんと炸裂(さくれつ)させてやるのや、見ておけよ!と誰に言ってるのか謎だけど、まあそんな状態なのだった。

でも、未来のことなんてわからないじゃん。大事なのは今じゃん。いまこの時を充実させるのが生きてるってことなんじゃん!?つって気がつけば真夜中、若い子に大人気&比較的安値の部屋着を血走った目で買いまくってる自分がいたよ。花柄とかピンクとかリボンとかそういうの。30半ばでポリ100%は鬼門だって骨身にしみてるはずなのに、なぜ今回もまたこんなことに……若い子の服はもう似合わないんだよ。似合うとかじゃなくて耐えられないんだよ。

でも大量に届けられたよ。つるつるしたワンピースとかロンパースとか。仕方ないからそれ着て仕事しているよ。そしたらこのあいだ宅配の人がきたよ。まだ若い男の子。わたし鰹節(かつおぶし)みたいに色むらのある素っぴんだったよ。目を合わせてくれなかったよ。(作家)