*[ウェブ進化論]解釈の力を磨く。
居心地のよいぬるま湯の中ではなく、
逆境や挫折にしか自分の成長はないものだと思えば、自分にとって辛いことというのは実は何かの機会である、ということに気付く。
なんだ。
そうだったのだ。
と若い自分に言ってやりたい。
一喜一憂とは「常に平常心で謙虚に」という意味で使うらしいが、この四文字は自分を元気づけるのにも使えるワードである。
喜んでいる時は「浮かれてばかりではいかんな」と思い、気を抜かない、自惚れない。
悲しい時には「鍛錬の機会が訪れたのだ」と考えれば、その先をどうするかは全く自分次第だということにも気が付く。
「迷ったら苦しい方に行け」というのはなかなか実行しずらい選択だけれど、「辛い時には成長の機会が与えられたのだ」という風に考えることはできそうだ。
なにしろ「考えるだけ」だから。
つまり自分でも第三者でも「その状況の解釈力」というのが最も重要なのではないかと気がついた。
不幸な事故や挫折は起こらぬに越したことはないが、全てを避けるのは難しい。
しかも起きた過去は変えようがないから「今これからの解釈する力」を意識しておけば、すぐさま「これからのこと」を全力で考えられる。
つい自分たちは過去の敗因についてあれこれ引き摺って心が残ってしまうものだが、それはまた落ち着いたとこにこそ考えるべきことだろう。
(つづく)