藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

経営のバランス

みずほ銀の特集記事より。
同銀行の不祥事の原因は、合併前から抱えていた「天下り先を持ち越したまま」の体質が、結果適正な監査を阻害していたという。
先輩が天下っていたオリコに厳しいことが言えなかった、というありそうな話である。

それにしても、大企業の統治の限界が見える。
それだけ企業規模も大きいマンモスなのだが、「自分の内臓が適正に機能するため」に「消費するコスト」もまた半端ではない。
大企業を維持する、というのは特に上場などしていれば非常な苦労なのだと改めて思うのである。

ではどうするか、というと一つには「外資系」。
ミッションと権限を与え、株主重視でドライに運営する。
トップが変われば人も変わり、物もサービスも変わる。

これだと新陳代謝は進むが、肝心の企業文化が残らない。
従業員や経営者のロイヤルティも一定以上には上がらないだろう。
ここが難しいところである。

自分もそうだが、経営のこと、と言うとすぐに「誰に何を供するか」ということばかりに関心がいってしまうのである。
こうした「組織をどのように運営するか」というのは経営者にしてみれば実に「技術的な話」であって「創造的な話ではない」というふうなステレオタイプに陥るのである。

だが実際はこの「技術的な問題」のハンドリングを誤ると、偽装や不正で倒産、というのが今の社会の掟である。
『創造する情熱と、運営する冷静さのバランス』が特に大組織では必要だということだと思う。

言いかえれば、「ベンチャー精神を失わない大企業」ということか。
とっても難しいものである。

Business Journalより

「ダイヤモンド」vs.「東洋経済」! 経済誌双璧比べ読み(11月第1週)
暴力団融資で“お粗末さ”露呈、なぜみずほ銀だけが不祥事を繰り返すか?根強い旧行の呪縛

週刊ダイヤモンド」(ダイヤモンド社/11月2日号)は「緊急特集 みずほ なぜ過ちを繰り返すのか」という特集を組んでいる。「みずほはなぜ過ちを繰り返すのか--。10月28日に業務改善計画が提出され、新たな局面を迎える暴力団への融資問題。みずほの歴史とはすなわち、こうした不祥事と、旧3行による果てなき内部抗争の歴史であり、冒頭の問いに対する解もまた、この歴史の文脈から読み解くことができる。決して消えない“呪縛”に、みずほは今なお縛られている」という内容だ。
 問題の暴力団への融資は、2010年9月にグループ会社にした信販会社オリエントコーポレーション(オリコ)との提携ローン。同年12月の社内審査で、問題の融資が明らかになった。そこで、一般企業よりも高いレベルのコンプライアンス法令遵守)が求められる銀行としては、顧客に暴力団が混入していることが判明したときに対処を適切に行うべきだった。ところが、社内の連携がなく問題を放置。
 金融庁行政処分後にも記者会見すら開かず、会見を開けば説明が二転三転。揚げ句には否定していたトップの関与を後から認めるというお粗末さで、事態を悪化させた。衆議院予算委員会で佐藤康博頭取の参考人招致を求められるまでになってしまった。
●埋まらない縄張り意識による溝 背景には、第一勧業銀行(一勧)、富士銀行、日本興業銀行が00年に経営統合されてできたというみずほの事情がある。
 「もともとオリコのメインバンクは旧一勧で、歴代のトップも基本的に旧一勧出身者が占めてきた。さらに暴力団などの顧客情報をチェックする銀行のコンプラ担当と、提携ローンを扱う個人部門の担当部長も旧一勧だ。旧富士は個人部門の担当常務として入っていたが、ほぼわれ関せずという立場。となれば、ほぼ一勧出身者同士の話し合いとなり、大先輩が社長を務めるオリコに対し、契約解除で波風を立てるような判断はなるべく避けたい」という思惑があったのではないかという(特集記事「Part1 何を隠そうとしているのか」)。
 これまでも、みずほは2度にわたるシステム障害を起こすなど、旧3行の縄張り意識が優先する不十分な企業統治に疑問符がついていた。佐藤頭取は日本興業銀行出身、問題融資の認識がなかったこともあって、責任問題に直結とまではいかないようだ。本人も引責辞任は「考えたことはない」と強調した。社内処分では、佐藤頭取を半年間、無報酬とする。塚本隆史会長は11月1日付で辞任するが、持ち株会社みずほフィナンシャルグループ(FG)の会長は留任する。
●ほかのメガバンクは、なぜ問題が起きない? 28日に金融庁に提出した再発防止策では、社外取締役を新たに導入するなどしてコンプライアンス(法令順守)態勢の強化を図る姿勢を示した。みずほは今年7月に、みずほコーポレート銀行との合併を果たし「ワンみずほ」を打ち出したばかりだ。しかし、今後も「ワンみずほ」への道は険しい。
 というのも旧3行の縄張り意識が定着しているからだ。銀行員にとって第2の人生の地となる出向先まで旧行の縄張りで決まる。例えば、旧一勧は巨大な宝くじ利権を牛耳っており、宝くじの販売および当せん金の支払受託業務の日本ハーデスは、旧一勧の出向先だ。その他、不動産業者をみても日本土地建物(旧一勧系)、東京建物(旧富士系)、常和ホールディングス(旧興銀系)と出向先が大きく分かれるのだ。将来の出向先が約束されているのだから、旧3行の縄張り意識がなくなることはない(特集記事「Part2 消えない“3”の呪縛」)。
 旧3行が対等合併したために、各行が主導権を握ろうと血みどろの抗争を繰り広げ、ガバナンスが崩壊した青い銀行・みずほ。一方で、赤い銀行(三菱東京UFJ銀行)も緑の銀行(三井住友銀行)も不祥事が出てこないのはなぜか。「コラム 赤は連邦主義、緑は実力主義 他メガバンクのしたたか統治」によれば、赤い銀行は吸収する側だった三菱が本部の枢要部門をガッチリと押さえ、緑の銀行も旧住友が実効支配しているためだ。ただし、のみ込まれた他行のモチベーションを保つしたたかさもあるという。旧財閥系の人脈コントロールの巧みさだろうか。
(文=松井克明/CFP)