藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

秋の夜長に。

呪縛。
呪い、縛る。
自分を縛る、自分自身の自我とか思考、価値観とか。
果たして自分は今何に縛られているだろうか。

そう考えてみると。
若い頃、学生時代は学歴に呪縛されていた。
お金に呪縛されるのはその後のことである。
学生時代には食べることへの不安はなかったから。
社会に出てからは、会社の規模とか業界とか、営業とか技術とかの職種の呪縛もある。
男とか女とか、若さとか老いの呪縛もある。
まあ考えてみれば人生は呪縛との付き合いなのかもしれない。

それはともかく。
だから「今自分を縛るもの」について考えてみるのは一興ではないだろうか。
例えば大企業で重役レースに縛られているエリート。
例えば恋人探しとか、結婚にしばられている若者。
お金に悩み、また金を欲して血眼になる人。
当選し、権力を手中にしようと目論む政治家。
みな何かに縛られているように見える。

もちろん自分も。
目に見えない自由とか、安定とか、はたまた冒険とか。
そんな「何か」に縛られ続けているのは人間の特徴ではないだろうか。
本能とは反対にあるもの。
そんな気がするのである。

だから、「今自分を縛っているもの」について考えてみるのは案外面白い。
ギャンブルだったり、お金だったり、異性だったり、名誉だったり世間体だったり。
岡目八目、他人様からみたら滑稽にも見えるけれど、当人にしてみれば盲目なものである。

そうして、あらためて「今自分を縛るもの」について考える秋の夜長なのであった。