先日同年代の友人と話していて「そりゃ、上司に言われたらやるよ」(具体的には海外転勤の話)と聞いて、改めてへぇーそういうもんか…と驚いた。
「言われてもやらない」というのは分かる。
だってやりたくないのでしょうから。色々な理由で。
けれどその彼は、言われればかなり自分の生活の犠牲的なことでも「やる」という。
まず感じたのは「組織人としての立派」。
けれど次に頭をもたげたのは「何で言われないとやらないのか?」と言う素朴な疑問だった。
まあ海外赴任とか人事的な問題は「私がやります」という類の問題ではないかもしれないけれどその「言われるか言われないか」の間の差はなんだろうなーと考えてしまったのだ。
多分、多分だけれど。
「言われないのにやる」ということにはあるリスクが付きまとうのじゃないだろうか。
「言われてもないのに」というのはよく自分たちが言い訳の枕詞に使うじゃない。
「私がやり始めたんですよ。言われもしないのに」てな感じだ。
それが「誰々に言われましてね…」というのとでは多分心理的な負担が違うのだ。自分自身の。
けれど、実は他人にとってみればそれはそれほど大きな事じゃない。
他人から言われようと言われまいと、それを「決断した」ということを他人は見ている。
自分には自我があるからその出自が「言われたことか言われてないことか」が心の縁(よすが)のようになっているけれど、それはむしろどちらでもいい。
つまり、後から「言われもしないのに、あの人」という批判は甘んじて受けるとして、「言われてないこと」についてもやってみることって実は大事なんじゃないだろうか。
というか、そうすることによってひょっとしたら10倍くらい自分の行動範囲って広がるような気がするのである。
(つづく)