藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

作る動機をよく考える。

糸井さんのブログより。
何か新しいビジネスはないかな。
今の仕事が、今の形のまま永遠に続いてゆくことは難しいだろうな、と感じてよくこんなことを考える。

 仕事を生み出そうとしている人たちの話を聞いてると、
 近くに豊富にある材料のことだとか、
 これまで以上に利益を大きくする方法のことだとか、
 つくるものを魅力的に見せるやり方だとか、
 「つくる」側の工夫について考えていることが多いです。

突拍子もなく「こんなものがあったらいいな」という着想よりは今の自分たちとか、自分の知識とか経験とか、そんなものを土台に考えることは多い。

 農業や漁業などの第一次産業をやっていた人たちが、
 その素材を加工することによって付加価値を上げ、
 さらにそれを自前の方法で販売していく‥‥という
 「第一次産業第二次産業第三次産業」の
 六次産業化という話が聞こえてきたりするのですが、
 そういう算数みたいな「あいことば」で、
 ほんとにうまくいくんだろうかと考えています。

多分、小さなビジネスのネタは周辺にあるのだと思う。
少しの発想と少しの工夫で「ちょっとした話題になる」とか「ちょっと便利」というようなものは数多くできてくるのでしょう。
その中にはヒットするアプリなんかもあるし、何千というそういう物の中からたまにはブレイクするものもあるかもしれない。

そんなこともある中、自分の本来やりたいことってどんな類のことなのか、ということは改めて考える必要があると思う。

ちょっとしたネタとかヒントは手軽に思いつくから、つい周辺のことばかり考えてしまうけれど、「自分がそもそも考えていたこと」ってどんなことだろうか。
物でもサービスでもパッと思いついてそのまま仕上がる物ってあまりない。
何かを始めるのは何となくではなく、一呼吸おいて考えなきゃな、と思う。
(つづく)

・「どうやってつくるか」とか、
 「どういうものをつくるか」は、
 とても大事なことであることは確かです。
 でも、それは、それを「ほしいと思う人たち」がいて、
 はじめてつくれるようになります。
 芸術表現だとか、趣味のなにやらについては、
 そのかぎりではありませんが、
 仕事として続けていくためには、
 「ほしい人たち」が必ず必要になります。
 「ほしい人たち」は一般的には「市場」と呼ばれます。
 
 仕事を生み出そうとしている人たちの話を聞いてると、
 近くに豊富にある材料のことだとか、
 これまで以上に利益を大きくする方法のことだとか、
 つくるものを魅力的に見せるやり方だとか、
 「つくる」側の工夫について考えていることが多いです。

 農業や漁業などの第一次産業をやっていた人たちが、
 その素材を加工することによって付加価値を上げ、
 さらにそれを自前の方法で販売していく‥‥という
 「第一次産業第二次産業第三次産業」の
 六次産業化という話が聞こえてきたりするのですが、
 そういう算数みたいな「あいことば」で、
 ほんとにうまくいくんだろうかと考えています。

 ほんとうに、いちばん考えなければならないのは、
 「ほしい人たち=市場」のことなのですが、
 そのことが最も切実で重要な問題だということが、
 あんまり考えられているようには思えないのです。

 「産地のいい素材を、うまく加工して、
 全国のお客さまにインターネットでお届けする」と、
 言うのは簡単ですし、やることもできますが、
 その「お客様=ほしい人たち=市場」は、
 どこにいて、どうやって会うのでしょうか。
 「メディアが取りあげてくれたらこっちのもの」
 だ、なんてところの先に「市場」があるのでしょうか。
 ぼくは、よくじぶんに言いきかせています。
 「いま(現在)は、在庫の時代だ」と。
 貨幣にとっても、商品にとっても、思いにとってもね。

今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
人間の活力は、ほとんどむだな改良によって失われている。