藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

心のto doリスト作り。

重要度と優先度を峻別せよ、というのは大事なコツである。
けれど。

 特別に忙しいスケジュールじゃなくても、
 なんとなく落ち着かないということがあるでしょう。
(中略)
 じっくり考えなきゃならない仕事がある。
 いずれやっておかなきゃならない仕事がある。
 できることならやっておいたほうがいい仕事がある。
 こういうことを、こころの「to do」リストに入れて、
 忘れないでいるだけで、永遠にこころは休めません。

そうなのだ。
糸井さんは心のto doリスト、と表現されているが特に「心の側」が問題なのだと思う。
片づけをする、とか資料を作るとかいう作業は目の前に見えているし、どうやればいいかもほぼイメージがある。
不安なのは「何を考えて行かなきゃならないか」というようなことを、「これから考え始めなきゃいけないとき」である。

ひょっとしたら簡単に答えは出ないかもしれない。いや多分出ないだろう。
だからある程度煮詰まったら、一旦置いておいてほかに調べ物をしたり人に相談したりして揉んで、もう一度改めて考えなきゃならないんじゃないか。

仕事でもプライベートでも、大抵難問というのはそういう物だ。
世間や知識でスパスパと片付けてはいけないものである。
そして、そういう難問が今の自分には二つか三つ、あるいは近い将来には五つくらいは立ちはだかっているような予感がするのである。
容易ならざる相手。

そういうものがこれから待ち受けているのだとしたら、今日一日が大過なく過ぎようとしていても、どうにも気持ちは落ち着かない。けれどただそわそわしていても無駄なことだ。

まだはっきりとは見えないけれど、それとなく予感するようなテーマについて、コーヒーでも飲みながら小一時間考える時間を作ってみる。
ひょっとしたらいくつかの問題は、見えていなかったはずがその輪郭くらいは浮き出してくるかもしれない。
毎日そんな時間を少し作ってみることにしようと思う。
成果が出たらすぐに報告させていただきます。

 今日、どういうふうに生きたらいいのかというのは、
 けっこう簡単じゃないなぁと思うわけです。
 「貧乏性」から抜け出すのが、カギなんでしょうけどね。

糸井さんは「心のto doリスト」のスタンバイ行列

これは、たぶんぼくだけじゃないのだろうと思いますが、
 特別に忙しいスケジュールじゃなくても、
 なんとなく落ち着かないということがあるでしょう。

 予定だけなら、ふつうになんとかなるように見える。
 なのに気ぜわしいとか、忙しいと感じる。
 そういう場合は、スタンバイ行列がわるいんですよね。
 
 じっくり考えなきゃならない仕事がある。
 いずれやっておかなきゃならない仕事がある。
 できることならやっておいたほうがいい仕事がある。
 こういうことを、こころの「to do」リストに入れて、
 忘れないでいるだけで、永遠にこころは休めません。
 
 やるならやる、やらないならやらない。
 それを決めずに、意識だけしているというのが、
 いーちばん悪いんですよね。
 
 しかも、観たい映画がある。
 買うだけ買ってあるDVDがそのままになっている。
 もちろん読もうと思って買ってある本が山積みだ。
 本といっても、マンガだってずいぶん溜まっている。
 誰かに聞いた美術館も行けば行けるし、行きたいものだ。
 習い事だってやりたいし、その材料は用意している。
 ネットを見ていても、あれこれ考えなきゃならない。
 はっきり休むと決めて時間をつくらなきゃいけない。
 やぼ用というか、家事やら手続きやらもやり残している。
 ああ、あいつにも会ってみたいし、あの人にも。
 
 知りませんよね、そんなにやることが列をなしていても。
 自業自得というか、じぶんで
 「やる」とか「やるべき」だとか「やりたい」とか
 言ったり思ったりしているんです。
 
 なんかもう、世界のことだとか日本だとか時代だとか、
 大きなことでもなんでもないのに、
 じぶんというたったひとりの人間が、
 今日、どういうふうに生きたらいいのかというのは、
 けっこう簡単じゃないなぁと思うわけです。
 「貧乏性」から抜け出すのが、カギなんでしょうけどね。

今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
寝る前にベッドのなかで笑う、というのはかなりいいです。