藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

一芸にかなわず。

多機能○○というのがある。
多機能ペンとか、多機能プリンタとか多機能住宅とか。
自分で多機能って言うか?というツッコミはともかく。

多機能ペンとか多機能手帳とか多機能ナイフとか。
ペンだと四色とかが使えたり、手帳は予定も電話帳も住所録もあったり。
多機能ナイフは何十通りにも使えて、普段持ち歩いていてカッコいい気がしたものである。
ところが実際は何かのついでに使うのではない、目的ありきの道具たちというのは大体「単機能」である。
その単機能に徹して掘り下げてあるような逸品が多い。
自分も今多機能ペンを使っているが、理由は「シャープペンシル」が秀逸の使い心地だから。
他の機能はほぼ使っていない。

作家とか音楽家とか料理人とか大工さんとかのプロに聞くと、みんな使う道具は「単機能を極めたもの」がほとんどだ。
しかも包丁とか筆とか弓とか、こだわりぬいたものが多い。
本気で使う道具は結局大量生産型ではなく、一品入魂で仕上げたものばかりというのは当たり前のようだけど「道具という物」の持つ迫力を感じる。
つまりはそういう逸品を使いこなせる人がその道のプロということなのに違いない。
自分にとっての逸品は何で、いつそれに巡り合えるのかなぁなどと想像する。