藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

プレッシャーを作るという発想。

一流のアスリートは本番の試合に臨んでさえ、その状況を楽しむことができるという。
そういうと何か別の生き物みたいだが、要はそれだけ場数を踏み経験が厚いということだろう。

難しい商談とか、トラブルの謝罪とか、業績不振の対応とかはどたもプレッシャーがかかるけれど、「そういうこと」がなければ何かを深く考えるということをしないという気もする。

ということは、そういうプレッシャーを日常的に作り出して自分にかけることができれば、自分は日常的によく考えるということができるということだ。

ぬるま湯に浸かっていると考えないで済むから。
考えることって筋トレと同じで苦しいことなのだろうか。(疑)
ともかくイザという時には考えることが出来るのなら、普段から考えておくに越したことはないはずだ。

例えば意識して、平日に全く何の用事もない日を作る。
と決まった予定はないわけで自由に使える時間の中で「急がないけれど大事なこと」が浮かび上がってきて、ハタと「本当にやらなきゃならなかったこと」に気付いたり。

ルーティーンというけれど、日常決まりきったことをこなすということの大事さと、まったく日常から距離を置いてそもそもを考えるということはどちらも大事なことなのだ。

こういう話って、自分の場合は中年を超えてようやく気づいた分野なのだが、できれば二十歳までの人たちに伝えてあげるべき話題なのではないかと思う。
知識の教育ばかりではなく経験を伝えるということをもっとカリキュラムに入れてはどうだろうか。