藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

自分に棲む魔人。


大人も子供もしばしば人は自分をごまかす。
誤魔化す、と表記するくらいだから「誤りの魔と化す」とはうまい当て字をしたものだ。
たいていは言葉でごまかす。

一方「ごまかしでない説明」も言葉で表現するから両者の見分けはつかないことも多い。
"人は自分を無限にごまかすことができる"という箴言があるくらいだから厄介なことだ。
自分の口から出たその言葉が、果たして正しい表現なのか、自己弁護や嘘なのか。
政治家の不祥事とか、事故を起こした会社の責任者の報道を見ているとそう感じることも実に多い。

ごまかしを覚え、多用しているとそれが自分の「習い性」になってくる。
つまり周囲も自分も「ごまかしで通用する」と勘違いし、それが正しい表現であり理屈が通っていると自分自身でも思い込んでしまう。
そんな自分は正に"魔"と化していて、本人が信じ込んでいるのだから非常に始末に悪い。
"ごまかしの魔人"はもう自分も周囲もごまかすことが自己目的化しているから、なかなか本筋の思考に立ち戻らずに、結局は迷走する。

「後悔のない人生」とか「失敗はした方がよい」という表現は、ある意味正しい場面もあるが、その言葉をそのまま「ごまかし」にも使えるから使う時には細心の注意が必要である。
"ごまかしの魔人"に絡めとられては、結局は自身の道を誤ってしまうだろう。
でそれはともかく。
(つづく)