藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

根こそぎ思考。

【ストレス】
(自動)
体に外部からの刺激が加わったときに、生体の示す反応。俗に、精神的緊張。

自分たちは人や物や情報が溢れる「外界」に生きているわけで、「外部からの刺激の真っ只中」にいるのだから、こりゃもう「ストレスの濁流の中」にいると言っていい。
「何かストレスを感じるなぁ」というのはもう至極当然のことなのだ。

一人で部屋に閉じこもっていたって「自分以外のこと」を考えればストレスだ。

そのストレスとの対峙方法を、凄まじい修行をこなした"大阿闍梨"が説く。
内容はシンプルだ。

欲しいものがなかなか手に入らないという苦しみの「求不得苦(ぐふとく)」、
どんなに愛する人とでも別れなければならない苦しみの「愛別離苦(あいべつりく)」、
心身を思うようにコントロールできない「五陰盛苦(ごおんじょうく)」。そして、私があえて最後にお伝えしたいのが、
恨みや憎しみを抱いてしまう人と出会う苦しみの「怨憎会苦(おんぞうえく)」です。
自分を攻撃したり、騙したりする人との出会いは、まさに「怨憎会苦」で、苦しみの中でも一番つらいものです。

・求不得苦(ぐふとく)
愛別離苦(あいべつりく)
五陰盛苦(ごおんじょうく)
・怨憎会苦(おんぞうえく)
四苦八苦、というけれど、この後生、老、病、死、と続くのだけれども、確かに

何か耐え難いストレスを感じた時に、自分自身に「待て待て。こう言う考え方もあるぞ、君!」という頭の切り替えのアドバイスとしては万能だ。

自分たちは何か追い詰められた時に「考える縁(よすが)」を探す習性がある。
何か救いというか「心の整理」ができる方法を自分自身が探す。
人はそれほど「心の生き物」だから、これは心の健康法とか護身術としては大事なことだと思う。

何か仏教の理屈をちょいと借りて「ストレスを自分の都合のいい風に消して」ばかりではちょっと反省が足りない気もするけれど、心の安寧を保つのは大事なことだから覚えておいて損はないだろう。

1日のストレスが根こそぎ消える「たった3つの習慣」

PRESIDENT 2015年11月16日号

男子家を出ずれば7人の敵あり、というが、日々のストレスといかに向き合えばよいのか。吉野山金峯山寺1300年の歴史で2人目となる大峯千日回峰行満行を果たした、塩沼亮潤大阿闍梨に話を聞いた。

千日山を歩く修行、寝ず食べずの修行が楽に思えた人間関係

私たちはすべてが思い通りにならないという現実の中で生きております。なかでも、人間関係の悩みは一番ストレスがかかるものです。例えば、自分は何も思ってもいないのに、嫌なことをされたり、言われたり。日々悩んでいる人はたくさんいらっしゃるかと思います。

慈眼寺住職 塩沼亮潤氏

でもこれは、すべての私たち人間に与えられた人生という修行でもあるんです。「四苦八苦する」という言葉がありますが、これは仏教の教えであります。まず、「四苦」とは「生老病死」のこと。この世に生まれてくることも、老いも病も死も、人間がいくら努力しても逃れることができない定めをもってこの世に生まれてきます。

しかし、自分の心をうまくコントロールすれば、苦しみを楽に転換することができるもう4つの苦しみがあるというのです。それは、欲しいものがなかなか手に入らないという苦しみの「求不得苦(ぐふとく)」、どんなに愛する人とでも別れなければならない苦しみの「愛別離苦(あいべつりく)」、心身を思うようにコントロールできない「五陰盛苦(ごおんじょうく)」。そして、私があえて最後にお伝えしたいのが、恨みや憎しみを抱いてしまう人と出会う苦しみの「怨憎会苦(おんぞうえく)」です。自分を攻撃したり、騙したりする人との出会いは、まさに「怨憎会苦」で、苦しみの中でも一番つらいものです。

私は19歳で仏門に入りましたが、お寺といえど、すべてを悟った人が集うところではありません。悟りを求めるために道を求める人たちが生活しますので、外の社会とさほど変わりません。「どうしてだろう?」と悩みの渦の中にいて、皆さんの悩みと同じ悩みを持っていた一人でもあります。体に過酷な負担を与える厳しい修行のほうがまだ楽に思えたことだってありました。

ではその悩みから私がどのようにして抜け出したのかというと、やはり、修行という人生の勉強のおかげです。「なぜそんなに厳しい過酷な修行をするのですか」とよく問われますが、山での修行とは、自分自身の心を高めて、あらゆるとらわれから離れる人生の大学みたいなものです。

私が修行のひとつとして23歳のときに取り組んだのが、吉野・金峯山寺の大峯千日回峰行(おおみねせんにちかいほうぎょう)というものでした。

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1カ月目には爪がぼろぼろ、3カ月目には血尿

1日48キロの険しい山道を毎日16時間かけて歩き、これを4カ月、定められた時期に奈良の吉野山から大峯山という標高1719メートルの山まで往復しました。9年がかりの大修行です。

真っ暗な午前零時に出発して帰ってくるのが午後の3時半。その間に食べられるのは、おにぎりと水だけです。台風の日も、具合が悪くても、5月3日から9月3日まで1日も休むことなく、歩き続けます。だいたい1カ月目には栄養失調で爪がぼろぼろにはがれてきて、3カ月目には体力の限界になり、血尿が出ます。もし途中で行をやめる場合は短刀で腹を切り、行を終えなければなりません。これを9年間続けたわけです。

そして、32歳のときに「四無行(しむぎょう)」という、9日間、飲まず、食べず、寝ず、横にならずという修行も行いました。一番の苦しみは喉の渇きです。初日からしてつらいのですが、2日目、3日目と日が経つにつれ、言語を絶する地獄の苦しみとなっていきました。

そんな過酷な修行を終え、里に下りてきてある日、ふっと突然気づいたのです。「あっ、そうだったのか!」と大きな気づきがありました。それは自分自身が嫌だと思ったら、どんなに隠しても、相手に対してどこか表情や行動、仕草などで、嫌な雰囲気が伝わっていたのではないか。知らず知らずに相手に嫌な思いをさせていたのは、まさしく自分だったのだと、心の底から反省したのです。それも自分の嫌いな相手と話しているときに、ハッと気づいたのです。

内心で自分が相手を嫌いだと思えば、おそらく相手も嫌いだと思います。私が初めから、もっとその人を受け止めるだけの大きな器のある人間だったならば、相手に対しても嫌な思いをさせなかったのではないかと自己を省みたのです。そこで心の中で「忘れきる」「捨てきる」「許しきる」ことの大切さを知りました。

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攻撃してくる人、騙してくる人が寄りつかなくなる

相手が自分に嫌なことをするからと、心の中で恨んだり、憎んだりしたら、今の自分の心の状態が悪くなってしまいます。それでは本末転倒です。しかし、自分が嫌だなと思う存在は、逆に自分を磨いてくれます。そう心をうまく転換することで、過去の嫌なことがすべて良い経験になり、感謝の気持ちになります。そうやって生きていると不思議と自分の将来がいいほうに運ばれていくのに気づくのです。昔は「なんで運が悪いのだろう」と思っていたのですが、その瞬間からスイッチが入ったように、人生が大きく変化しました。

今の自分の心の状態を整えて感謝と反省、そして相手に対する敬意、これらに自分が包まれていると、むやみに攻撃したりする人はあなたの前で小さくなってしまうでしょう。また、騙そうとしたりする人も、自然と寄りつかなくなるものです。

では具体的にはどのようにしたら、そういう状態になるのか、今からお伝えする言葉を3大習慣にしてみてください。感謝の「ありがとうございます」、反省の「すみません」、敬意の「はい」の3つです。メールなどではなく、心の底からきちんと声に出して相手に誠意を持って伝えるのです。

ごくごく当たり前の言葉で拍子抜けしたかもしれませんが、この3大習慣を繰り返して行うことが大切です。お釈迦様の教えでは、同じことを繰り返して努力し続けると悟る可能性があると言われています。例えば、お寺に入ったばかりの修行僧は、初めの頃はお香の匂いがしないのですが、毎日朝夕お務めしていると、1年2年経つ頃には、お香の匂いが衣に染み付いてくるのです。これを「薫習(くんじゅう)」というのですが、同じことを繰り返して心の習慣にすると、だんだんと見えてくるものがあります。

ただし、この繰り返し行う「薫習」も、情熱を失ってしまったのでは、悟ることはできないとお釈迦様は説いておられます。

この3大習慣の「ありがとうございます」「すみません」「はい」を、心からの言葉と笑顔で、ご縁のあるすべての人に伝えてみてください。

慈眼寺住職 塩沼亮潤

1968年、仙台市生まれ。86年、東北高校卒業。87年、吉野山金峯山寺で出家得度。91年、大峯百日回峰行満行。99年、大峯千日回峰行満行。2000年、四無行満行。06年、八千枚大護摩供満行。現在、仙台市秋保・慈眼寺住職。大峯千日回峰行大行満大阿闍梨。新刊『人生でいちばん大切な3つのことば』(春秋社)など著書多数。。